生活がほんのちょっぴり楽しく、そして苦しくなるエッセンス~。
違いがわからない。
これは私によくありがちな日常の出来事です。
わからなくても、気にしなくても、たいていどうにかなります。
でも、この違いのようなもの、これはなんていうのでしょうか?
微妙に見方を変えるというか、見方を増やして、同じものでも違った感じで見たり取り組んだりするような、知恵のような、工夫のような、考え方のようなものを手に入れると、ほんのりと楽しく、きゅきゅっと苦しんだりする日々を手に入れることができるように感じています。
違いがわかれば、自分はどうするか?という小さな選択をして、自分で決めた。という、楽しさがうまれるもんなんだなあと思いました。同時に決められないで困るという苦しみもうまれるもんなんだなあと思うときも。
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わたしは違いがよくわからないという悩ましい状態に陥ります。
何かちょっと気づいちゃったぞ。という感じでしょうか。
何かが違うらしいが、それをまったく知らない状態はわりと平和ですが、何かが違うようだ。と、
気づいちゃったとき、それが何なのか気づくまでが、ちょっと苦しいです。悶々とするのでそういうのがわかるまでがめんどうで、知らないままでやり過ごしてやろう!とさえ思いたくもなります。
違いを教えてくれ!といっても、経験や情報や知識など・・・いろいろ積み重ねられていないと、教えてくれようとしていても、微妙な感じがわからなくて、すぐにはピンとこない。みんなもどかしい!
く や し い な
身の程を知って、くそう!なぜ私にはわからないのだ!と、わりと悔しがらないとなかなかつかみとれない、この違い的なもの!
違いを見つけるためには、何もやらないでは無理。ということがわかりました。
めんどくさいので、たいていはあまりやろうと思わないのですが、興味のあることに関しては、絶対に違いがわかってくるので、ずっと意識を持ってやっている人はそういうところがすごいんですよね。
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生活でこの違いを見つけるというのは、ほんとうに些細なことかもしれませんが、小さな違いであっても見つけられるということは、自分の世界が少し広がっていくことだと思うので、そういう小さな楽しみを毎日キラキラした目で、見つけ出してやろうと思いながら、生きていると、わりと退屈しません。
だれか身近な人(特に自分より長く生きている人や取り組んでいる人)が、こういう違い的なものにすでに気づいていることが多いと思うので、こっそり話を聞き出すのがはやく見つけるための秘策だと思っています。