私が文章を書き続けるようになった出来事は何個かあるのですが、何故書いているのか?と、自分にはじめて問うた時、人に話したい事があったけど話せなかったという答えでした。
私は幼いころからたいそう世の中を呪い怨んでいたので、いつか打ち壊してやろうと思っていたものです。
根が小心者なので、その程度の器では、そのようなことは叶えられるわけでもなく、かわいらしい子を産みましたので、頭の中が奇妙なことになり、積み重ねてきた怨念も、すっ・・・と、抜けていったのでした。
それが抜けるまで、人生においては長い・・・といえども、歴史からしてみれば一瞬。大きな何かが絶え間なく押し寄せてきて難儀しましたが。
自分が長い年月をかけてかき集めてきたものを手放してみると、いままでそのための道具だけが残っていたことに気づきます。自分の大半は、そういったかき集めた念が占めていた事もあり、それが道具を使うためのエネルギィでありました。道具がうまく使えなくなり、何かポッカリと穴があいたような、空虚を抱いていたのでありました。
そういうわけで、またなんとはなしに文章を書き始めるのですが、私が書いているのは文章であり、それは文章でしかありません。
文章を書くならば。ということで、よい文章を書こうという事を思いまして、それに関心を向けたこともありますが、どうも違う。どういうわけかしっくりこないわけで、それは何故だろうと思っていました。
あるとき、何かが足りないようだ。ということに気づき、何が足りないのだろうか・・・と思いながらも文章を書いていました。どうしても、それは文章でしかないのです。
それでも書いていると、どうやら文章を書くための重要なものが自分の中に今はない。ということがわかってしまったのです。これは、いくら書いても、どうする事も出来ないものでした。
一時期、ないなら手に入れるじゃない。ということで、それを手にするために、愛だの幸福だのと現を抜かしていたこともありますが、遠回りするだけだ。ということにも気づいてしまいました。
そのようなわけで、これは私にとっては長年のよい遊び相手でもあり、今となっては危ないものでもあるということです。