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2012年9月1日

個人的な問題と恥と隙と弱さについて


人の事を指摘したくなったり、悪い面が気にかかる時は、それが自分の「個人的な問題」・・・うーんと自分の中のヒッカカリだと思っております。

長く生きていると、こういうことがどうしても増えてしまうのか、いろいろなことに引っかかってしまいがちになるものなのだなあと、子どもの成長を見ていて、思いました。

個人的な問題は個人的な問題であるので、外に出てきてしまうより、内で解決する方が手っ取り早いものだとは思いますが、これは如何様にもうまくいくわけとは限らないもので、悩ましいものです。

何もなければ何も起こりえない意識・・・というものが、自分に出来るということは、「何かある。」と捉えれば、自分の中のわかりにくくなっている個人的な問題を発見しやすくなります。

逆に、その小さな何かをスルーしてしまえば、そこはやり過ごすことができますが、目の前で起こっている具体的なものは違えども、根にあるものは同じで、それが続きます。

人の事が気になり、気に食わないので、それにばかりとらわれている。
ことが続いたりしますが、それは「その人」が気に食わないというより、たまたま自分が解決できない個人的問題を象徴している人であるので、「その人」の問題というわけではない場合、「その人」に向いている感情が、お門違いなのです。

それがお門違いである事に関しては、よくあることなので、とりわけなんとも思わないのですが、先日見た「ルサンチマンから逃れられない」が頭をかすめて、ブラックホールに呑まれていくようなイメージがあり、それは恐ろしいことであると思うのです。

その恐ろしさを恥じている場合、あたかもそうではないようにしてセーブをかけることがあり、これも恐ろしいと思っています。

私はこの恐ろしい個人的な問題を、たくさん持っていて、自分が個人的な問題を持っているというのを常に自覚しておかないと、自分の身を滅ぼしてしまいかねません。なので、いつも臆病です。

個人的な問題というのは、自分にはわかりにくく、他人にはよくわかるもので、いくら隠そうとしても、見えてしまいます。隠している事の方が恥ずかしいと感じるし、隠さない方がわかりやすくて、サッパリしていて気分も良いとも思うのですが、隠されていないとめんどくさくてたまらないものであったりもします。自分では隠しているつもりでも、バレバレである。と言うことも自覚しないといけません。

隠してたのに、バレてた!とわかったら、恥ずかしすぎです。
恥ずかしいというのが、一番いやで屈辱的なので、はじめのちょっとした恥ずかしさなんて屁でもないわとさえ思うほどです。

個人的な問題というのは、個人的な問題であることを自分で気づいていない場合、意識していない個人的な問題の解決のために、まんまと人にだまされてしまうことがあるのも、ひとつの難です。

個人的な問題というのは、他に与える隙でもあるので、その隙を悪用されてしまえば、どんどん自分が壊れてしまい、自分の喪失に繋がりかねません。
なので、そういった個人的な問題は、自分で早々に解決してしまうのが、いちばん健全であると思うのです。自分が弱いと思うなら弱いと思うほど、このたくさんの隙を減らさなくてはならないのです。

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