わたしの好きな本。
名画を見る眼 (岩波新書) 高階 秀爾
図像学入門 荒俣宏
荒俣さんの本はもうどこで買えるのかわかんないです。似たような本も見つかるけど、バカの見方、ボケの見方、パーの見方っていう、ものの見方について書かれている本です。
高階さんの本は、西洋美術鑑賞の手引きといわれていて、続名画を見る眼っていうのがあるけど、こっちは私にはわからなさすぎたので、そんなに面白くなかったです。
なんでこんな本を読んでいたかというと、絵が好きで勉強してたら、図像学とかイコノロジーというものがあるのを知ってはまっていたため。この果物は何々という意味で、ここに配置されているのは、何々が何々でみたいな感じ。まあ、これはどうでもいいです。
なんだか裸婦がキャッキャウフフしている絵を、エロい!と思いつつ眺めるというよりは、これはなんだかんだああだこうだ、ほぅほぅ。よってこういうことなのである。みたいな、単純にそれを見るとは違った見方みたいな感じが気に入っていました。
そういう人おったんや!と、感動した記憶があります。
これは、こんな形なんだけども、こういうメッセージを発している。
絵に限ったものでもなく、いろいろな情報をミックスしてたまたま今こう。というものを、たまたまみてそう。というのも、おもしろいけど、もっと見えるものがあるという好奇心を養うきっかけになったかなと思っています。
1つのことも、莫大な情報量があってこうなっていた。とか、何もかもの情報の関係性や糸をざっくりまわってそもそもどこに繋がっているのかというのを、瞬間的に処理するのは、むちゃくちゃ疲れることで、だいたいやりません。
まったく別の次元にそれが置かれてあったり、そもそも繋がっていないのに関係していたり、突拍子もないものもたくさんあるので、見つけ出すのに少々時間がかかることもありますが、だいたいのことは何かあります。何かはあるけどだいたい何というわけではないです。ポンと出たものは、ポンと出てきただけで、笑えますよね。
え?何の話をしてるんだって?
世間話です。
キーボードのどこかに何かが挟まってて発狂しそうです。