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2012年12月30日

なんでTwitter好きなの?

私、Twitterとか好きですよ。

と言うと、なんですきなの(大丈夫なの)?みたいに問われたので
なんで好きなのかわからないけど、とっさに答えたのは、

街とかで座って人をぼーっと見てるのが好きだからですよ。

と、答えたんです。

なんで、ぼーっと見ているのが好きかというと、ほほえましいからです。

まあ、正直、自分にとってほどよく安全な距離感を保ちながら、
そこにいるのを楽しんでいるという無理をしないスタイルが楽しかったんでしょうね。


そういえば、夏ごろに、90歳のおばあちゃんと世間話をしていて、こんなことを聞かれたんです。

「ねぇ、私の言ってること、おかしくないかしら?」

おばあちゃんもまあ私と似てるところがあるので、
質問の意味はなんとなくわかったので、話していたことを思い出しながら、

「大丈夫ですよ~。」

と言うと、

「おほほ。よかったわ。変なこと言ってるかもしれないんだけど、わかんないのよね。何も言わない時は、聞こえてないんじゃないのよ。考えているのよ。」

と言ってました。

これね、私、めちゃくちゃびっくりした質問だったのです。
90歳にもなると、理性がどうとか自分でもよくわかんなくなるかもしれないとか、なんかいろいろあるんだろうか。とか、いろいろ考えちゃったわけですが、まあこんな風に自分のことを人になんとはなく伝えることって、大事なんだなと、学びました。


あれ?Twitterの話じゃなくなってた。

。・*・:≡( ε:)(:з )≡・*・。

2012年12月29日

親切だなと思いました

私はウン十年、しにたいわと思いながら生きていました。
でも、生き残っています。ほんとなら、こんな生命体はとっとと滅亡していたと思いますが、生き残ってしまったので、どうしようかな。と思っていました。

で、まあ。思ったんですが、この最悪な状況でも生き残ってしまえるほどの生命力が半端なかったので、ほんと最悪だわと思いました。私もっと繊細で美しい生命体だと思っていたのに、肥溜めの中でも生きていけるくらいガッツがあるみたい。
自分があまりにもワイルド過ぎて最悪なので、はじめは周りが変わればいいと思ったのですが、肥溜めをハイブランドの店内みたいにするには、うんこしないくらいしかないくらい私には難しいことでした。

まあ、どうでもいいですね。


テレビを家族で見てました。
私はテレビを見ている時はかなり油断しているので、
ついうっかりテレビに出ている人を見ながら言っちゃったです。

「この人、うんこしてるよね。」

言っちゃった。
言っちゃいけない気がすること言っちゃった。
怒られるかな~とおもったら、夫は笑っていました。

まあ。でも、うんこをしているところを見てしまうと、さすがに私もショックが大きいので、そういうのが見えないようになっているというのは、親切だなと思いました。

子どものころ友達の家に遊びにいった時、便所をかりたら、中に友達のお母さんがいてあまりにも衝撃的すぎて今でも覚えているので、便所には人がいないのが健全でいいですね。

2012年12月27日

夫とニク食べに行った時に気に入った本

夫と娘とレストランにニク食べに行きました。ニク。
久々に行くと、ケーキがはじまっていて、入り口のガラスケースを見てました。

私のお気に入りは、カリカリがついた、なぜかでかいニク。いつもそれ。
トマトソース。いつも忘れるんだけど、ニクの下にレモンがいる。
娘はスープ。娘はスープが好き。最近、フォークとナイフを使うのが好き。

私はいつもそこにいくと料理が来るまで、本を読みます。
洋食の本とか、アートの本とか。あと、金子みすずの本とか。占いの本とか。
夫は新聞。そんな地味な紙見たら目がつぶれるよ。まあいいか。

私がこの日はじめに読んだ本は手相の本。
娘とやってみたけど、めんどくさくなってすぐに飽きる。

今日は何を読もうかな~ということで、
山本太郎と間違えて、岡本太郎の本を持ってきた私。
ページをペラペラすると、岡本さんの写真があり、間違えましたやん。と思いました。
まあ、よくあるのでよいでしょう。

ん~。これはなかなかよさそう。
なんか30代になった夫がもやもやしているようなので、この本をすすめてみました。
案の定読んでくれない。私はこういうとき、無視されているのか、理解されていないのか、信用されていないのか、一瞬思い悩みますが、夫はだいたいそういうもんなので、3,4回読むように言ってみました。
夫読んだー。リアクションが相変わらず無い。まあ気に入ったみたいだな。

食事が終わって、席を立って一言ボソリ。
「おれ、これかおっかな~・・・」

うむ。
クリスマスに、買ってあげた。
本買ったの、よろこぶかな~と思ったら、やはり、リアクションが薄い。
でも、「ウッヒャァ!!!超マジウレピー!!!俺感動した!!!」とか言われたら、家出したくなるのでそれでいいです。


今日はそこからひとつ。

矛盾
社会の個。
純粋であればあるほど人生は悲劇だ。人間はすべて矛盾の中に生きている。だから矛盾に絶望してしまったら負け、落ちこむのだ。それよりも、矛盾の中で面白く生きようと、発想を転換することはできないだろうか。
P98
悲しみや辛さに長くとどまっていると、そこが本当は自分にとって良くない場所だとわかっていても、他に行くところが無いので、そこにとどまってしまう。すごく遠いところに行かなければいけないわけではない。隣の席に移るくらいで、ちょっとずつズレていけば、いずれそこから離れられる。そこでシクシク泣くのもたまには必要だけど、鍵をかけておけば留守にしてても、いいのじゃないのかな。

よくないのは、そこにずっといること。
そこが自分の場所だと思いこんでしまっていることです。



強く生きる言葉
文字はいいんだけど、途中で岡本太郎のモノクロ写真が入っているのが苦手。怖い。

私が読んでいる本は、私が好きなタイプの人のことが書かれていた本でした。

さて。そろそろ本も読み終わるころ。

私はわりと人をじーっと見ているのが好きなので、どういう魂なのかなんとなくさっしていきます。どういう状態なのかとか、どうなっているのかとか。どのくらい当ってるのかはわからないし、みんなこのスキルがあると思っています。私、暇なだけかな~。とも思うんですが、情報が多いほど、困ってたり、しんどい理由がピンポイントでわかったりしてしまいます。
普通のことを書いている文章から、その人が持っているコンプレックスもさっします。これが私の言葉で言うと、その人の個人的な問題。なぜそれを書くに至ったかの根本的なものです。ただし、私が気づいてもその人が隠したいことだと思うので言いません。私も散々さらけ出していますよね。その話はされることが無いので、それでいいんだと思います。人のことをとやかく言っている状態は、たいてい個人的な問題が原因です。人のことより自分の個人的な問題解決をやったほうが合理的です。

さて。
私が読んでいる本は、私が好きなタイプの人のことが書かれていた本でした。
つまり、素晴らしすぎる私のことが書かれているようですね。よって良書です。
この本ね。

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (ソフトバンク文庫) Amazon

この本には私の好きな、マキャベリ、ユングがちょろっと出てきます。
素晴らしい本ですね!チョイスのセンスがエクセレントー

そこから、記事を書きながら、たまたま見てたところを引用します。
これ、うちでよくあるの。
たとえば、夫は冒険映画やスキー競技、スーパーボウルを見るのが好きで、いつも妻を連れて行きたがったが、コーラは行きたくない。最近になってやっと彼女は「イヤ」と言えるようになり、以来、夫は、友人を誘うようになったという。
P280より
私の夫は、野球やサッカー観戦、ライブ、映画に連れて行きたがります。私はいつも「イヤ」と言います。理由は、うるさくてしんど過ぎて何も楽しくないから。しかも逃げられない。はじめ夫はこの理由が理解できなかったようで、めんどくさがりだからだと思っていたようです。最近はとりあえず誘ってくれますが「いやだろ?」と、笑ってます。今度、「行く」と言って驚かせてみよう。でもねー無理に行って本気イヤ過ぎて1週間くらい寝込んだ経験がある野球は絶対イヤ。

今はけっこう明るくポジティブに暮らしていますが、マジでやばいシーズンとかもありましたよ。真っ只中でほんとに辛い人は、私のこのポジ文ではピンとこないと思いますが・・・。
困難な子供時代を過ごしたHSPは、大人になってからうつ状態や不安感にさいなまれやすい。問題が起こった時の年齢が若ければ若いほど、その問題はたいてい母親などの最初の養育者の行動と深く関係しており、より長期的な影響を及ぼす。その過去は癒されるものだが、あなたなりの癒し方でなければならず、また問題がなかったら得られなかったであろう資質を獲得することによって癒される。この資質とは、たとえば、もっと広い視野を持ち、複雑さに耐え、他人に理解を示せるようになるといったものだ。
P339
大人になってうつ状態になったんですが、育児で疲れたから。というのが、きっかけ。ただ、自分でもかなり根深いものが原因だろうとはわかっていて困惑状態に陥りました。
育児で疲れている上に、家事をやり、さらになぞの症状に見舞われ続け、今だから笑えるけど、超大パニックです。いきなり自分がコントロールできなくなり超ショックをうけ、精神的ダメージがでかすぎました。でも、子供のころからどれだけ辛くても我慢していたし人も頼れず、なんとか普通を装い続け、本気でやばいなと自覚するのが、めちゃくちゃ遅かったです。そもそも自分がおかしいと人に気づかれないようにすることにも精神を使い続け、50キロくらいあった体重が38キロになってました。
悲惨すぎる!!!

こういうことになるので、外とのつながりや、人を頼ること、自分を理解してくれる人との繋がりをもつこと、どこが安全なのか、休むこと、とか大事だなというのを学びました。

私が欲しいものは、かわいがられること、褒められること、必要とされること。
私がこんなものを欲しがってしまっているばかりに、娘が神をしてくれるので、そういうのにも罪悪感をも感じながら、むーーちゃくちゃ喜んで、娘を大事にしています。娘、大好き。天才。

私は人のことを読むので、本心で言われない限り、ガッカリして凹みます。
めんどくさいでしょ。なので、本心で言われるような、人間になろうかとも思いますが、これは人間のアプローチじゃなく、私のアプローチでやりたいです。

もし、私と同じように気に病んでずっと困っている人がいるなら、自分のすごいスキルを使って、人じゃなく、自分を客観的に分析し、とりあえず盛大に賞賛しつづけてみてください。心の中でやってたら、誰も聞いてないし、ほとんどの人は心が読めないのでバレないです。
あと、ちょっと自分では大げさ過ぎてばれるよなwと思うことでも、ほとんどの人は気づかないかスルーするので、自分の素晴らしさについても、大胆すぎて言うと爆発すると思い込んで今までいった事がない事を言ってもわりと大丈夫っぽいです。

私は植物のような存在感ですが、何かおかしいぞをいちはやく見つけ出したり、いろんなタイプの人がいるとこを円滑になるようにこっそ~り微調整したり、うまくいくよう見守ったり、困っている人がいたらちょっと引き上げたりするようなタイプなんだなと思いました。

目立つことは目標ではないです。
存在でき、私がいることを認識されることが私の今の望みなんでしょうね。

。・*・:≡( ε:)(:з )≡・*・。

今まで私のようなタイプの人間は、ある状態のものから、さほど評価されることはないです。誰も気づいてないことに気づいてもそれに気づくことがすごいとも思われません。誰も気づいてないのに。もう教えてあげない。しいて私が目立つところと言ったら、うまくいかないで困ってる時くらい。ひどい。マジでひどい。昔、スゴク呪っちゃいました。ごめんなさい。滅びるかもしれんな。

。・*・:≡( ε:)(:з )≡・*・。

で、最後に、実は私の日々の心のテーマが「平常心」なんですよね・・・。
これ、笑うとこです。すぐに動揺したり、混乱するので・・・(´・ω・`)

ということで、来年も引き続きよろしくお願いいたします。
書かなくてもわかると思いますが、私は元気で前向きです。
本心で好きと言われたら、喜びます。

<今、気になる情報>
5人に1人は繊細すぎて生きづらい、「HSP」という遺伝特性 - NAVER まとめ
読んでる本:ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (ソフトバンク文庫) Amazon
たまに見る動画:スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」

恐怖です。

私はずっと自分が弱すぎるので、強くなろうとしていました。しかし、なぜかうまくいきません。なぜうまくいかないのかという理由はなんとなくわかっていました。恐怖です。
安全なものなんかないといわれるかもしれませんが、私は人がとてつもなく恐ろしい。ただしキライではないです。むしろ人は好きです。

ただ、1pxでもあるものをさっしたら逃げたくなります。5pxくらい感じたら逃げます。
それがゼロの人はおそらくいないのも知っていて、気分や状態によって出てくることも把握しています。

ところで、私の子どものころの趣味といいますか、好きなこと?だと思っていたことがあるんです。好きだと勘違いしているのかもしれませんが、やってると安心できるのでよくやっていたこと。

1. ひとりで図鑑を模写すること。
2. ばーちゃんの横で庭の隅で石の下の虫をじーっとみること。

楽しかった記憶。
母と二人で車に乗って海にいき、潮干狩りしたこと。
砂の中から貝が出てくることしか覚えてない。
みかんの皮がかたくなっていくこと。
ストーブの上のもちがふくれるところ。

・・・う~ん、地味。

私が極限状態になった時にやる逃避行動。
妄想、そしてもうダメだと思ったら、意識を失っている状態になる(自分基準)。

改めて見ると、私と友達になってくれる人いなさそうと不安になってきた。

++

私の個人的な問題。

さて、私が人が恐ろしいというのには理由があります。
あまり詳しく書くと、たまたま見た母が辛くなるので書けませんが、子供のころ家庭環境がよくなかったのです。よくなかったと言っても、私の感じ方がおかしいのでたいしたことでもないのかもしれません。これを話題にしたところで、私になんのメリットもないです。

ただ、今回は人が恐ろしい理由として書きます。
私が実家を離れるまで、両親が不仲でした。不仲というより、理性を失って目の色がおかしい父親が母に暴力をふるい、母が泣き叫び、家族が怯えているような日が頻繁にありました。両親が家にいるとき、ずっと怯えていました。母がノイローゼ気味でした。私はずっといろんなことを我慢して、おとなしくし生きていました。行くところもなかったので。私の家庭の環境を知る親類には、私も煙たがられているような、受け入れてもらえないような、行き場のない孤独がずっと子どものころからありました。

なぞです。こんなことってあるんだなあ。と、今思えば他人事のようにも思いますが、実際に私が体験していたことなのです。思い出せない。でも、がんばって思い出してわかったのは、人に怯える理由はここにありました。

人はわりと親切である。とは思いたいのですが、どうしても手放しでそう思えない理由はこれです。私はある一定の距離をとらないとストレスです。疲れているとき、人と1メートル以上距離を置かないと、ストレスを感じる時があります。きらいじゃないんです。限界きてるんです。なので育児は限界をこえて白眼になるくらいがんばったことのひとつです。母ですし。だいぶ手が離れてわりと今、平和。

大きな声で喋る人、つまり通常の会話では使わない声の大きさ、ニュアンスを持った声を使う人がずっといると、逃げたくなります。同じニュアンスの文章、書きこみもアウト。表現全部アウト。
それ、わざわざそうしなくても、聞こえますし。わかりますし。と、思うんです。

++

子どもというのは邪心がわりと少なめで、かまって欲しいすごいオーラがダイレクトすぎでしんどすぎですが、私は親切で忍耐強めなのと、守ってあげたい・かわいがりたい・よいほうにみちびいてあげたいと思うので、許容範囲内です。私には無理そうにみえてこういうことを好むのは、自分のしんどさも許せる愛か使命みたいなもんだと思っています。

私は今はとても平和に楽しく暮らしていると思っています。最高に。
でも、もっとよくなろうと思っています。
ただ私にとっては、居心地がわるいものはもうゴメンです。病気になるので。
と、いうことがわかった2012年。

今まで私がやってきたことは、間違ってはいなかったです。
ただ、私が目標としているものは、どうも違っているようです。

文章が書けない最大の引っかかりもなんとなくわかってきました。

>>> つづく?

<今、気になる情報>
5人に1人は繊細すぎて生きづらい、「HSP」という遺伝特性 - NAVER まとめ
読んでる本:ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (ソフトバンク文庫) Amazon
たまに見る動画:スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」

2012年12月26日

夜更かしをしている

寝ればいいのによく夜起きていることがあります。昔からです。
もともとあまり寝ないから起きていても平気だ、と思っていて、君はいつ寝ているんだ。と言われることも多いほど、夜起きています。最近、気づいたのは、夜起きていないと精神がもたないからかもしれません。昔から、夜起きてネットをしていると、わりとよく似た人に出会っている気もしていました。

私はずっと、自分がダメ人間であると思っていて、まったく自信もなく生きていました。少しの自信が芽生えても、すぐにガラガラとくずれていきます。もしかしたら、まったく優秀ではない人間であり、何も誇れるようなことがないのかもしれません。そんなことを思いながら生きている人間はうざいので興味ないと思われるだろうと思いながら、生きていますよ。


私がなぜこんなことを書き始めたのかというなぞについて、早く書かないと、とうとう気が狂ってしまったのか?病んでしまったのか?と思われそうなので、先に種明かしをしましょう。

みんな知ってると思うけど、私のはなしは、いちいち長いです。

私はずっと人とズレているような気がするが、自分はまともだ。と思っていました。
ただ、あまりにもキャパを超えて一度精神をわずらったことがあります。ああ、メンタル弱いのかと思うかもしれないですが、そう思いたいならそれでいいです。それで話も終わるので、それでいいじゃないですか。

精神が弱った理由はわりと単純で疲れたからです。
よくなっても、なぞは解明されることがありませんでした。ずっとなぞです。
この変な感覚は、精神病か何かの疾患があるのか?と、疑うのですが、わかんないんですね。人に危害を与えるようなものでもないです。迷惑はかけますが。
ココロの深い傷と闇とかも原因かもしれません。正直わかんないんですね。
ただ、自分で、自分が不幸であるとは思うことがありません。
不安にさせてきただろうか・・・今はすごく平和に暮らしてます。

そんな感じで平和に暮らしてるある日、生きたオマール海老を手に入れた。
んで、動揺しすぎて、「感受性」という単語を調べていました。感受性が強いことは高いというのか?というのを調べるためですね。(やべーエビダイレクトになにか感じてすごい私パニックになってる!)というのを言いたかったのだと思われます。

なぜかエビがらみでたまたま見つけた情報がHSPというもの。なぞです。
はてブでおもしろいコメントもついてるのでついでに見ておいてください。

5人に1人は繊細すぎて生きづらい、「HSP」という遺伝特性 - NAVER まとめ

自分が繊細とか思ったことが、一度も無いんですが・・・
どちらかといえば、ワイルドだろぉ?

だいたい精神が弱ってる状態だと、自分に何かの病名をつけたくなったり、何かに属させたくなったり、スなんとかみたいな世界に行きそうになるかもしれないですが、そういうのではなく、問題解決と謎の解明のための、参考資料のひとつということで、このルートでどこまで自分に説明して納得させられるか、考えてみることにしました。

なんか、いろいろやってみて、どうにかなってるという人には、特に必要もないと思います。でも、いまだになんやこれ・・・気持ち悪いな。なんやねんと思うものが解決されない人の私が読んでみることにした本がこれです。

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (ソフトバンク文庫) Amazon


>>> つづく 恐怖です

自分が何なのかよくわからないと、どうしていいのかわからない。
こんなことに困る人とかいないですよね・・・。私アホなんですよ。

私以外の人が、自分に都合のいいものを信じて生きているように、
私も私に都合がいいものを信じて生きて生きたいですからね。


これ面白かったです。
スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」

ひとりでポツーン。ってしている感じの人へ

これから何回か話すと思われることは、私のことが好きな人と私とのひみつの世間話です。最近、おもしろい考え方?情報を見つけてきたので、こっそり教えます。

それ以外の人は、読んでも意味がわからないので、どこかにいってくださいネ!

私は自分でもやや気づいていますが、何かが妙です。
何かが妙なので、わりと困っていて、どうにかしようとしますが、たいていうまくいきません。
うまくいかないので、根本的にダメ人間なのだろう。と思っていました。
うまくいかない理由は、そのやり方が合ってないからです。


私はわりと温厚なタイプで、静かで刺激がすくない文章をかくことが多いですが、
私とおなじように文章からダメージをくらう人ばかりだと思っていたので、配慮していました。

文章になると、情報量が多いので、私の感情や細かいことが出ると思っていたので、文章を書く前に、一度感覚を抜く作業を自分の中でおこなっています。
Twitterの場合は、とどまりにくいのと、情報量が少ないので、それはほぼやりません。


自分と自分以外の人とどのくらいのちがいがあるのか、私にはわからないので、自分の情報を出して、その反応でそのちがいについて探っています。

私が今思いつく、嫌いなもの。

スポーツ観戦
 ⇒ しんどい。うるさい。ガーってくるのがしんどい。人が集まっていてひどい。
雨の日
 ⇒ ずっと、うるさい。ぬれる。
悪意を隠している
 ⇒ 見えているのにいちいち隠しているのが腹が立つ。
本心を書いていない
 ⇒ 理解するのに時間がかかるし本人も気づいていないので混乱する。
あらそいごと
 ⇒ なんでそんなことをするのか理解不可能
刺激的な言葉をあえて使ってダメージを与える
 ⇒ なぜそんなことをあえてしないといけないのか理解不可能
テレビ
 ⇒ ずっとうるさい
爆発したり暴力的な作品
 ⇒ しんどいだけでそれにあえて金をはらってみる理由が自分にない
人ごみ
 ⇒ だるい
声がでかい人・オシャベリな人
 ⇒ うるさい。筆談して欲しい。
親密な人の集まり
 ⇒ 特に言わないが嫌っている人が集まっているような集まりが苦痛すぎてイヤ
イベントごと・祝い事など
 ⇒ いつもとちがうので、しんどい
悪口
 ⇒ だるい。言うならもっと本気で自分の個人的な問題も含めて言って欲しい。

などなど、いわゆる自分がしんどくなる強めの刺激と、継続的な刺激がキライです。
私の好みもあるので私の好みも入っています。私は音がわりとキライです。
私は静かで穏やかなものが安心できるというだけです。

んで、だいたい人が集まるところでは相当無理をして参加しますが、基本的に行きたくないです。しんどいもんだよとか言われますが、私のしんどさとそれを言う人のしんどさが、どうも同じしんどさではない気がする。というと、屁理屈とか根性無しとか気合だ我慢しろ行っとけばいいんだよといわれます。疲れすぎてしねと言っているのだろうか?と解釈しますが、しぬレベルで参加しなければいけない意味がわからない。とか、発言することもできません。

んで、だいたいほとんどの人があまり好きではなく、あえて言わないので、めっちゃくちゃめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちゃくちゃしんどくても、みんな\すごい崇高な卓越した精神力/でどうにかしているのだと、信じ込んでいました。そんなレベルに達するのとか、無理ぽとさえ思うくらいの、高い精神力ってどうやったら手に入れられるんだよ!みんな毎日どんな丸秘訓練してんだよ!と、検索してたこともあります・・・。
しんどいけど、我慢して体を壊すくらい我慢するべきことで、さらに我慢して体を壊すことすら悪・ダメ人間だと、解釈していました。そうなっていく自分がダメ人間であるからに違いないとさえ思い込むほどです。そのような環境にずっといると、もう・・・逃げ場がない・・・このままではしぬ・・・、耐えれん・・・しにたい・・・と思うほど追い詰められます。

単なる妄想が激しいダメな人間なのかもしれない。と何度も自分を疑って人に聞いてみるけど、何人かの意見では私はダメ人間ですが、妄想ではないよという人にも出会いました。

そんで、同じようなタイプの人と出会うことがありませんでした!
私のようなタイプの人はだいたい何も言わないので、出会ってもなんとなく気は合うが、そんな話は普段話すことがないので、話題にすることもできず、日常会話でさらっと話すくらいで、ちゃんとはわからないんだけど、なんかそうかな?と思うくらい。
なんとな~く、孤立して、ひとりでポツーン。ってしている感じが多いんではないかと思っています。

なんとな~く、人をずっと探していて、インターネットで人を探していました。
誰かを、なんとなく。

私はいろいろ文章を書いてみて、何をどう書けば伝わるのか考えていましたが、
特に考え込んで書かなければいけないタイプは、私と違うタイプの人です。
私とおなじタイプの人は、そう詳しく書かなくても伝わっていて、私のことが好きですよね!地味に気づいていますよ。なんとな~く。

っていうことで、いきなりこんなことを書き始めてみましたが、
元気ないわけではないというのもわかると思います。隠しててもわかるだろ君。
頭痛いんですけどね。

。・*・:≡( ε:)(:з )≡・*・。

※そーだ。これ反応がなくてもいいタイプの記事なので別になにもしなくていいです。また見にきてください。

ずっとダメ人間だと思って生きていたので、こういうのは話すことはありませんでしたが、話す糸口が見つかったので、ちょっと長くなります。

>>> つづく 夜更かしをしている

2013年になるまえにすべきこと

コントロールすべきものと、そうでないものがある。
このちがいに疑問を抱き続けてどれくらい経つだろう。

完璧なコントロールというのは便利ではあるが恐ろしいことでもある。

自分をコントロールすることはむずかしく
他人をコントロールすることはもっとむずかしい。

コントロールにはメリットがある。

しかし、デメリットもある。
思いつくのが、否定、抑制、遮断。
その結果、どうなるのだろう。

自分をコントロールする場合、我慢とのちがいを考えたことがあるが、
我慢より、コントロールという調節をするほうが、賢い。
調節するめもりみたいなのが多いのが理想。

自分に不誠実に抑制することが多くなると、
他人も不誠実に抑制してしまうことがある。
手抜き工事だ。

ちゃんちゃらおかしな話でもある。


もうすぐ2012年が終わる。
2013年になるまえに最低でもすべきこと、
それは、自分をかわいがり、愛することです。
人の言葉ではなく、自分の言葉で。

それができなければ、2013年も手抜き工事。
人から不誠実にコントロールされ、人を支配しようとする。
できあいのものばかり手にして、本当に欲しいものは、手に入らない。

諦めてはいけない。

ものの見方

わたしの好きな本。

名画を見る眼 (岩波新書) 高階 秀爾
図像学入門 荒俣宏

荒俣さんの本はもうどこで買えるのかわかんないです。似たような本も見つかるけど、バカの見方、ボケの見方、パーの見方っていう、ものの見方について書かれている本です。

高階さんの本は、西洋美術鑑賞の手引きといわれていて、続名画を見る眼っていうのがあるけど、こっちは私にはわからなさすぎたので、そんなに面白くなかったです。

なんでこんな本を読んでいたかというと、絵が好きで勉強してたら、図像学とかイコノロジーというものがあるのを知ってはまっていたため。この果物は何々という意味で、ここに配置されているのは、何々が何々でみたいな感じ。まあ、これはどうでもいいです。

なんだか裸婦がキャッキャウフフしている絵を、エロい!と思いつつ眺めるというよりは、これはなんだかんだああだこうだ、ほぅほぅ。よってこういうことなのである。みたいな、単純にそれを見るとは違った見方みたいな感じが気に入っていました。
そういう人おったんや!と、感動した記憶があります。

これは、こんな形なんだけども、こういうメッセージを発している。
絵に限ったものでもなく、いろいろな情報をミックスしてたまたま今こう。というものを、たまたまみてそう。というのも、おもしろいけど、もっと見えるものがあるという好奇心を養うきっかけになったかなと思っています。

1つのことも、莫大な情報量があってこうなっていた。とか、何もかもの情報の関係性や糸をざっくりまわってそもそもどこに繋がっているのかというのを、瞬間的に処理するのは、むちゃくちゃ疲れることで、だいたいやりません。

まったく別の次元にそれが置かれてあったり、そもそも繋がっていないのに関係していたり、突拍子もないものもたくさんあるので、見つけ出すのに少々時間がかかることもありますが、だいたいのことは何かあります。何かはあるけどだいたい何というわけではないです。ポンと出たものは、ポンと出てきただけで、笑えますよね。

え?何の話をしてるんだって?
世間話です。

キーボードのどこかに何かが挟まってて発狂しそうです。

2012年12月25日

ぼうぎょ1の妄想

人間の言っていることが、わかりません。
私はぼうぎょ1なので、すぐにゲームオーバーです。
すばやさ9999だったら、どうにかなる可能性もあります。
でも、すばやさだけ9999にするとかへんたいですよね。


いきなり、感じだけのたとえばなし。
1はめっちゃ弱いってことな。

この状態で、なぜかバトルすることになります。

じぶん → こうげき1000 ぼうぎょ1000
100人 → こうげき10 ぼうぎょ1

私なら絶対100人に勝てそうと思います。


この状態で、なぜかバトルすることになります。

じぶん → こうげき10 ぼうぎょ1
100人 → こうげき1000 ぼうぎょ1000

たぶんまっさきにゲームオーバーだな。と、思います。
でも、100人のうち1人だけにこうげきされてゲームオーバーになるのですが、なんと、誰にこうげきされるか選ぶ権利だけはあります。

A 残りの99人をこうげきするパッションだけ著しく高い人
B 残りの99人をうまく丸めこんで城作る人
C じぶんをこうげきしたあと即効ゲームオーバーになる人
D すばやさ9999の人

などなど、妄想は膨らむばかりでございますが、
さらに妄想の難易度を上げてこうしてみましょう。

A 残りの99人をこうげきするパッションだけ著しく高い人+Aのストーリー
B 残りの99人をうまく丸めこんで城作る人+Bのストーリー
C じぶんをこうげきしたあと即効ゲームオーバーになる人+Cのストーリー
D すばやさ9999の人+Dのストーリー

選択するのが難しくなってきます。
これをふまえて、こうしてみましょう。

A 残りの99人をこうげきするパッションだけ著しく高い人+Dのストーリー
B 残りの99人をうまく丸めこんで城作る人+Cのストーリー
C じぶんをこうげきしたあと即効ゲームオーバーになる人+Aのストーリー
D すばやさ9999の人+Bのストーリー

もう、わからなくなってきました。
かなりやばいことになってきます。どうしてそうなった・・・。

え?何をしてるのかって?

ただの妄想です 。・*・:≡( ε:)(:з )≡・*・。


+++

何が言いたいんだよと?
いちばんはじめにいいたい事をかけっていうの見たから・・・。

\すばやさ9999/  

ねむいです。おやすみなさい。

2012年12月24日

わたしは回転寿司屋に行っています。

やっていると見えるもの。
やらないとわからないもの。

いつから、見えるようになったのか。
それはわかりません。

でも、見えるようになったことに、
ふと、気づく時があります。

それは、なぜか。

見えている。
いや、ほんとうは見えない。
たぶん、見えるようになったもの。

景色は変わる。
これは単なる文章ですが。




どんな景色があるのだろう。
わからない。

わからない景色の、イメージや色が、
どういうものなのかわかるものでございましょうか。
わたしにはわからない。

そこではどんな香りが、どんな音が、どんな空気が、
そしてどんな雰囲気が、あるかなんて、
そこに行ってその景色を見た人にしか、ほんとはわからない。

そして、そこにいこうとしている人にのみ、
行き先を教えてくれるのです。


「回転寿司屋は、どこですか?」
「この道をまっすぐ歩いて、右です。」
「ありがとうございます。」

あなたはコンビニに行っているのですか。
わたしは回転寿司屋に行っています。

2012年12月23日

ケーキは私が買いました

明日はサンタさんが来る日ですねぇ。
ケーキは私が予約しておきました・・・

今年も、めっちゃくちゃおもしろい!すごい!すばらしい!感動した!という記事をかなり読んだはずなのですが、簡単に言うと忘れてしまいました。

なんかネタ帳というブログからこのブログの記事へのリンクがはられているようなので記事を書く仕事をしています。

。・*・:≡( ε:)ネタ帳さんめ(:з )≡・*・。



役に立つ!とか、すごいブロガーになれる!とか、人生が幸せすぎてやばい!とかになるかどうかは、読むひと次第だと思いますが、私のお気に入り記事をご紹介します。まとめるとか面倒なので、列挙です。列挙!

今日は、いいことを教えてやるよ。 - フルタ製菓株式会社 ボツ案
実はこの記事は、何回も読んでいるはずなのに、私は「きなこ」しかわかってません。フルタ製菓さんは、はてなブログでブログを書かれていて好きになりました。フルタ製菓の商品買うぞ!と思って買って来たのが、このチョコレート。



学んでから作るのではなく、作ってから学ぶ - ぼくはまちちゃん!(Hatena)
この記事やばいですね。
このブログに3日くらい滞在してたのは私です。ずっと見てました。

亀の手そっくりなんだけど、食べたら病み付きになるらしい海岸の固着動物「カメノテ」 : カラパイア
私の大好きな、カラパイアさんだ!しかも何年もサイトを知っているくせに、ブログのタイトルを覚えていないんだぜ!でも大好きだぜ!深海魚とかダニとか寄生虫とか菌とかもですが、私が見たいものはだいたいここにある気がします。ウデムシとか。



AMNは当然私をパートナーブロガーに選んでくれるんだろうな?: やまもといちろうBLOG(ブログ)
[徳力]【お待たせ致しました】っていうか隊長、そんなこといってパートナーブロガーに申し込んでないじゃないですか
なんか、ブログ上でやりとりがされていて気になりました。


レッサーパンダが超可愛い
レッサーパンダが超カワイイ!!!なぜ・・・わかったブログからこの記事を選んでしまったのか・・・わたしにもわからない。レッサーパンダがかわいかったので!!

「熱川バナナワニ園」の主役はレッサーパンダだ!【富士伊豆静岡旅行記#6】 | ロプログ
そうだ!レッサーパンダ見よう。と思ったらワニが怖すぎました。
やっぱりレッサーパンダはかわいかったです。



ニッセン, 連載小説「ロケットクイーン」目次
ニッセンさん、何をやってますの。と、つっこみたくなります。

@nifty:デイリーポータルZ:リカちゃん人形をダンボールで作ると泣けます
キティさんに教えてもらいました。
おもしろい。デイリーポータルZ、おもしろいです。



「デイリーポータルZがうらやましい」オモコロの苦悩と"笑い"へのこだわり:サイラボ|cylab
。・*・:≡( ε:)◜◡‾(:з )≡・*・。

「ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない」、壊れすぎw
なぜ・・・わたしはZapaブログの記事の中からこれを選んでしまったのか・・・。何度か読んでも、どの音が出ないのかいまだにわからないのですが、壊れすぎなんだな、きっと。と思うと面白すぎです。壊れすぎですもんね。

[豪]:フザけた顔にモフモフボディ!ウォンバットの赤ちゃんが可愛すぎる!
ウォンバットかわいいです。おすすめウォンバット。
(私は、バクもおすすめなんですけどね・・・。)

意外にも撮影OK!国立博物館で仏像や文化財の写真を撮りたおす! - ココロ社 ♪ほのぼの四次元ブログ♪
たぶん笑ったりとかしてはいけないのだろうと、ちょっと空気を読みそうになりますが、わたしは笑いました。

会社を設立して9年が経ちました。 - Junnama Online
「どれがホント?」情報の真偽判断は多様な情報収集から: ブロガーズブログ
情報の網を紡ぐ | SEO 検索エンジン最適化
私は反射神経でおもしろいものには反応してリアクションしますが、その単純なおもしろさをピックアップしているのは関西人特有のすぐにツッコミみたいなものでありますが、



切ない‥大根おろしだるま by ピーロン茶 [クックパッド]
すごく切ないです。しかもやりたくなります。
やりました。




あなたのブログが検索エンジンと両想いになるための10の傾向と対策 - F.Ko-Jiの「一秒後は未来」
こちらはF.Ko-Jiの「一秒後は未来」の2008年2月の記事でブログと検索エンジンのことを書いているのですが、検索エンジンじゃなくて、私の好みを書いてあるのかと思い今年この記事を見たときおどろきました。



+++

途中から字が赤になってますが、そういうデザインです。
※なおした 。・*・:≡( ε:)(:з )≡・*・。 +++

書くのを忘れていたのですが、おもしろいからポンポンリンクを貼っただけというチョイスではないです。

2012年11月27日

今日はどんなよいことをしたかね?

一日なんとかと言いますが、それはわりと意識しなければできてなかったりします。

私は腹黒い人妻なので、(今日はいいことしたぜ・・・へっへへへ。)などと思ったりして、自意識過剰なのですが、今日はどんなよいことをしたかね?と、自分を問い詰めます。

なにがよいのかわるいのかっていう判断をすることが、さりげなく難しいのですが、人がちょっと笑ったりしたら、よかったと判断することにしています。

ただ、それだけ。

なんか、できそうでしょ?やってみそ。

2012年10月2日

私のおばあちゃんの話


私のおばあちゃんは、視力が弱いというのを知ったのは小学生になってだいぶ経ってから。

私のおばあちゃんは、私の母が働いていたので、家事全般をやっていて、普通に買い物に行ったり、夕飯を用意したりしていました。たまにドジをやるという認識だったのですが、それが見えにくいからであるとは思っていませんでした。

話をする事がよくあって、テレビを見ながらおしゃべりをしていた記憶があるんだけど、夕飯に何を作るかいつも困っていて、何かいいアイデアがあるかも!?と言いながら、毎晩、台所で料理番組を見てました。
広告の裏に太い油性マジックで材料と作り方を書いていて、それを書いた広告をたくさんたんすの中に持っていました。

私が字が書けるようになると「レシピを書いてくれないか?」と言われたので「いいよー。」と、広告と油性マジックを受け取って快く書いていたのも小学校高学年まで。

中学生になると「やだー。」と言って、自分の部屋で勉強していました。
勉強の合間に台所にいくと、ふにゃふにゃの字で広告の裏に書かれた、料理のレシピがテーブルの上にありました。

夕飯の前に、おばあちゃんがレシピを見るのに、広告を顔に近づけ過ぎだったので「何をやってるの!」と、ひどいことを言ったことがあります。なんで、あんなことを言ってしまったんだろう。どんどん目が悪くなってたのに。
スーパーに一緒に買い物に行った時、おばあちゃんがやたら商品を手で触っているので「やめて!恥ずかしいから」と言ってしまいました。私が代わりに見てあげればいいだけだったのに。

私は絵を描くのが得意なので、賞をとった絵を家族に見せたとき、おばあちゃん「よく描けてる」って言ってたけど、ほんとは、もう私が描いた絵は、見えてなかったんだぜ。
娘が産まれた時も「あんたによく似てるわ」って言ってたけど、ほんとはひ孫の顔だけじゃなくて、孫の顔も見えてないんだぜ。

電話をするといつも自分の体の不調ばかりを言ってるんだけど、おばあちゃんがそんなことを言える人って、私くらいだよね。

そんなことを、ふと思い出しました。
では、また。


2012年9月1日

個人的な問題と恥と隙と弱さについて


人の事を指摘したくなったり、悪い面が気にかかる時は、それが自分の「個人的な問題」・・・うーんと自分の中のヒッカカリだと思っております。

長く生きていると、こういうことがどうしても増えてしまうのか、いろいろなことに引っかかってしまいがちになるものなのだなあと、子どもの成長を見ていて、思いました。

個人的な問題は個人的な問題であるので、外に出てきてしまうより、内で解決する方が手っ取り早いものだとは思いますが、これは如何様にもうまくいくわけとは限らないもので、悩ましいものです。

何もなければ何も起こりえない意識・・・というものが、自分に出来るということは、「何かある。」と捉えれば、自分の中のわかりにくくなっている個人的な問題を発見しやすくなります。

逆に、その小さな何かをスルーしてしまえば、そこはやり過ごすことができますが、目の前で起こっている具体的なものは違えども、根にあるものは同じで、それが続きます。

人の事が気になり、気に食わないので、それにばかりとらわれている。
ことが続いたりしますが、それは「その人」が気に食わないというより、たまたま自分が解決できない個人的問題を象徴している人であるので、「その人」の問題というわけではない場合、「その人」に向いている感情が、お門違いなのです。

それがお門違いである事に関しては、よくあることなので、とりわけなんとも思わないのですが、先日見た「ルサンチマンから逃れられない」が頭をかすめて、ブラックホールに呑まれていくようなイメージがあり、それは恐ろしいことであると思うのです。

その恐ろしさを恥じている場合、あたかもそうではないようにしてセーブをかけることがあり、これも恐ろしいと思っています。

私はこの恐ろしい個人的な問題を、たくさん持っていて、自分が個人的な問題を持っているというのを常に自覚しておかないと、自分の身を滅ぼしてしまいかねません。なので、いつも臆病です。

個人的な問題というのは、自分にはわかりにくく、他人にはよくわかるもので、いくら隠そうとしても、見えてしまいます。隠している事の方が恥ずかしいと感じるし、隠さない方がわかりやすくて、サッパリしていて気分も良いとも思うのですが、隠されていないとめんどくさくてたまらないものであったりもします。自分では隠しているつもりでも、バレバレである。と言うことも自覚しないといけません。

隠してたのに、バレてた!とわかったら、恥ずかしすぎです。
恥ずかしいというのが、一番いやで屈辱的なので、はじめのちょっとした恥ずかしさなんて屁でもないわとさえ思うほどです。

個人的な問題というのは、個人的な問題であることを自分で気づいていない場合、意識していない個人的な問題の解決のために、まんまと人にだまされてしまうことがあるのも、ひとつの難です。

個人的な問題というのは、他に与える隙でもあるので、その隙を悪用されてしまえば、どんどん自分が壊れてしまい、自分の喪失に繋がりかねません。
なので、そういった個人的な問題は、自分で早々に解決してしまうのが、いちばん健全であると思うのです。自分が弱いと思うなら弱いと思うほど、このたくさんの隙を減らさなくてはならないのです。

2012年8月31日

なぜ文章を書き続けていたのか

私が文章を書き続けるようになった出来事は何個かあるのですが、何故書いているのか?と、自分にはじめて問うた時、人に話したい事があったけど話せなかったという答えでした。

私は幼いころからたいそう世の中を呪い怨んでいたので、いつか打ち壊してやろうと思っていたものです。

根が小心者なので、その程度の器では、そのようなことは叶えられるわけでもなく、かわいらしい子を産みましたので、頭の中が奇妙なことになり、積み重ねてきた怨念も、すっ・・・と、抜けていったのでした。

それが抜けるまで、人生においては長い・・・といえども、歴史からしてみれば一瞬。大きな何かが絶え間なく押し寄せてきて難儀しましたが。

自分が長い年月をかけてかき集めてきたものを手放してみると、いままでそのための道具だけが残っていたことに気づきます。自分の大半は、そういったかき集めた念が占めていた事もあり、それが道具を使うためのエネルギィでありました。道具がうまく使えなくなり、何かポッカリと穴があいたような、空虚を抱いていたのでありました。

そういうわけで、またなんとはなしに文章を書き始めるのですが、私が書いているのは文章であり、それは文章でしかありません。

文章を書くならば。ということで、よい文章を書こうという事を思いまして、それに関心を向けたこともありますが、どうも違う。どういうわけかしっくりこないわけで、それは何故だろうと思っていました。

あるとき、何かが足りないようだ。ということに気づき、何が足りないのだろうか・・・と思いながらも文章を書いていました。どうしても、それは文章でしかないのです。

それでも書いていると、どうやら文章を書くための重要なものが自分の中に今はない。ということがわかってしまったのです。これは、いくら書いても、どうする事も出来ないものでした。

一時期、ないなら手に入れるじゃない。ということで、それを手にするために、愛だの幸福だのと現を抜かしていたこともありますが、遠回りするだけだ。ということにも気づいてしまいました。

そのようなわけで、これは私にとっては長年のよい遊び相手でもあり、今となっては危ないものでもあるということです。

2012年8月30日

毎日楽しそうでうらやましいわ

過去に数回、

毎日楽しそうでうらやましいわ

と言われた事があり、あれ??褒められてるの!わーい。
と子どものころは思っていたけれど、どうやら馬鹿にされているらしい。
というより、あきれられているらしい。ということがわかり、

(楽しそうにしたらあかんのか・・・これはいかんぞ)

と思い、楽しいことは秘密にする事にして生きていこうという事にした。

自分の時間を使って、無駄な楽しい妄想に費やすということは不快らしい。

それ・・・おもしろいよね・・・?
と言うことも、たいていは、深刻なものだとして受け止めるべきで、楽しく感じてはいけないようだ。たとえ、楽しい部分を見つけてしまっても、それは人と共有してはいけないというものが存在しており、楽しい事はタブーとされているものがある。

何もかもすべてを楽しいと思うわけでもなく、とりわけ普通の出来事を、おそろしく深刻な方向に多くの人で流していく、もしくはその逆が起こるとき、おそろしさを感じてその流れから離れようとする、それがいけないらしい。いっしょに流れなさい。と言われているような、何かを感じ、さらにおそろしくなり、逃げたくなる。それは大きなもので、逆らうよりも、脇によけるのがいちばん手っ取り早い。

時にはそれにのって一緒に流れていくのも、また、楽しい。

楽しい流れからは、私は見えず、
悲しく退屈な流れからは、私が離れて楽しそうにしている姿が見えてしまう。

ただ、それだけのことじゃあないですか。
流れに身をまかし、流れた先で、流れているときにみたその光景を確かめに戻ってくるのは稀で、たくさん流れていったひとはいるけれど、たいていは戻ってこないものだ。私も同じように戻らないもんだ。

2012年8月29日

いやなことといいこと

なんでいやなのかなあ。なんでいいのかなあ。

と、言った事を自分に問うのですが、答えがいつも見つかるわけでもなく。
そして、その問いの答えは自分の中だけにあるもののようですが、
適当だったり都合の良いものも作っているようです。

先日、たまたま、ルサンチマンというのを見ていたのですが、
この中に自分にとっていやなことといいことがいろいろあります。
ルサンチマン - Wikipedia

じっくり読んでいると、不思議な組み合わせとかがあるので、不思議なもんだなあと思っていたのですが、その中で奴隷精神と言うのを見て、なんともいえない、拒絶反応(それはやだー!というもの)が自分の中にあるようなので、それはいったい何故なのか。というのが気になりました。

君主-奴隷道徳 - Wikipedia
これは自分がこれである。とは断言できないものであり、こういうものが全部自分の中でごっちゃにあるものだととらえましたが、それは内々の話でして、たまには無になると言った事を考えました。

だいたいのところ、悩ましいものは多かれど、
蟲師を見てて思ったのは、それがそれとしてあるということのようなものですか。
判断するのは保留にしておくということが多いので、いけません。

とか言った事を書くと、大丈夫かと心配されるんですが、元気です。
たまーに、ふと、思い出すんですよね。

※後で読み返してみて、蟲師見た日記かよ!と、笑ってしまったじゃないか。

2012年8月28日

図書館には感謝しています

私が子どものころ、大きな本屋も、インターネットもなかったので、今思うと、情報源が少なかったと思います。
当時はそういうことも感じてなくて、それでも何も不便だと思っていませんでした。
だから、それでもよかったのかなとも思っています。 

そんな子どものころの私はよく図書館を利用していました。
お金もなかったし、本屋があっても欲しい本が買えなかっただろうなと思いました。
ちょっとくだらないけど読みたい本とか、買ってもらえなかった・・・というより、買って欲しいと言えなかったんです。 

図書館の本は自分の本ではなかったので、知りたかった事や印象に残ったキレイな絵を自分の手元に残しておくことができませんでした。コピーすればいいと思いますが、子どものころはコピーすることも知らなかったので、すべてノートに書き写していました。そのノートは母がよくスーパーで買ってくれた。5冊セットになっているあのノート。あと、らくがき帳ね。

大人になって本を読みたいと思って、図書館があってもお金があっても、時間や熱意が子どものころに比べたら少なくなってしまったみたいで、今思えば子どものころ町にあった図書館には感謝しています。

 もし、あの図書館がなかったら、江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズを全部読む事もなかっただろうし、今では買えないような本に触れることも一生なかっただろうに。
 
そこは私が住んでいた町にはあまり似つかわしくないような(と言ったら失礼だけど子供のときはそう思ってた)とても立派で、私が想像していた都会の建物のようでした。そこにある設備は、とてもハイテクだと思いました。
読書や勉強ができるスペースもたっぷりあって、日常を忘れて勉強したりできる場所でもありました。それは学校ではできなかったことだと思います。

こんなものにカネをかけやがって。と、怒るんじゃないかと思われていたおじいちゃんも、なぜか好意的で、今思えば、なぜ文句を言わなかったのかわかります。

私は、そんな事を思いながらですね、インターネットもそういうわたしの子どものころの図書館のようなものだという幻想のようなものを抱いていましたが、実際はちょっと違っていて、厳しい場所だというのも思っています。

話はガラッとかわりますけど私の中ではこの流れで、2011年ごろから、プログラムを動画で学習できるという日本の「ドットインストール」というサービスがあるのを思い出しました。わたしも勉強するぞとか思ったのですが、怠惰がたたって勉強していません。30代の私ってやあね。年は関係ないか。

そんな30代の私はさておき、この記事を書いていて、あのサービスって、すばらしいなあ。と思いました。と思ったけど、この記事を読んだら、なんか違うのかなとも思ったんだけど、図書館に行っていた子どものころの私のような子が、将来感謝するかもしれない。なんて思ったんですよね。

2012年8月27日

「雑記」を書くらしい

という雑記です。

弱ったな。雑記書いてる自分がいやになってきましたね。
雑記しかかかない自分が「いや」というより、雑記が雑記ラベルにたまっていく、得体のわからないものをわからないままそのままにしてやり過ごしていくようなことが厭であり、なんでも型にはめてラベルをつけてどうにかしたいコノヤロウっていう感じも含めて、総合的にいやになってきました。

「ブログ」と「むすめ」はかなり好きなので、それでもいいです。
好きなので、自分でも納得します。他のものが少ないのも納得します。無理しましたから。ああ。何を見ているかというと、このブログのラベル(カテゴリ)です。

モヤッっとしていたり、なんかわからんが気持ち悪いようなことや、あやうくやり過ごすところだったわ~ということを含めて、ひたすら書きたいと思ったりしていたのですが、そういうことがいったい何であるのか?というのが、自分でもわからず、まあわからないままでもよいだろう。とも思う面がありました。それでも無理して、パッケージつけて前面にコレ!として押し出そうかとも思った事もありますが、それは踏み込むべきところかどうかを判断するのがとても難しいゾーンだとも思っているので、悩ましくなります。

気持ち悪いゾーンを分厚い皮をかぶせてストーリー化させるのは、莫大な労力を要するし、皮がなければ、即効性がある場合と、かなりのダメージの場合があり、やさしい処方にしておくのが、お鍋でグツグツやった魔女のクスリ。

意味がわからないというのは、優しい処方になっているということで、ゆるやかな効能を感じるということであって、本来ならばかなりすごいことなんだということ。

ゆるりとくるには、やさしいものを継続的に。


私にはひとつどうしても曲げないと思っているものがあり、それが本当にそうなのだというのは、自分以外の人がいなければいけません。これはすぐに納得できるものではないと、子どものころから思っていたので、いくら絶望しても、諦めませんでした。まだ、諦めていません。

あのゾワゾワはとても恐ろしい。

2012年8月26日

日記はその日に書くもの

夏休みがそろそろ終わろうとしています。

子どもの夏休みの宿題の中に、1行日記なるものがありました。
毎日1行だけ日記を書けばいいという、子どもでもなめちゃうような難易度の低そうな宿題です。

しかし、簡単そうに思えて、すごくハードルの高い宿題であった~。

簡単だ!と意気揚々とはじめた1行日記。
毎日あったことを1行だけかけばいいので、インターネットでは、Twitterで1ツイートすればいいくらいです。覚えているときは、毎日書いていて、つい2行になったり、明日の分まで書いちゃいたいという衝動にかられたりしますが、この宿題をズルせずに完璧に終わらせることは出来ませんでした。



夏休みももうすぐ終わりだ。ということで、
宿題の最終チェックにはいったときに発覚。

1行日記を8月にはいってから書いていないじゃないか!!

ヒェー。
まだこの時点では、まあ大丈夫だろうと思うわけで、
しょうがないやろう。ということになり、過去の1行日記を書いていたら、
この日何してたのか、わからない!という、<わからない日>がある事が判明。

母娘で思い出そうとしますが、二人とも忘れたという、
思い出が一切存在しない空白の日がある!

いやぁ、一日一日を生きて今日があるはずなのに、
まるで存在しなかったかのような日が存在するなんて!と、途方にくれる、私と娘。

「おかーさん!なんでおぼえてないのよ!」
「えっ・・・。忘れたんだもん・・・。じゃあ、君は1年前の○月×日の事を覚えているのか!」
「それはかんけいないしー!こどもだったし!」
「きみはいまも子どもだよ!」

何をやっているんだ、私たちは。

しかし、どういうわけか、おかーさんはブロガー。娘の前では、自称マジョ。
こっそりその日撮影した写真を眺めて記憶の糸をたどる事に成功。

「その日、夕飯にあれ食べた。」
「その日は、二人であそこに行った。」

娘、フムフム。娘、フムフム。
無事に過去の1行日記を書く事に成功しました。

娘は、「ヤッホー!宿題クリアー!」っていうわけですが。

おかーさんは、
日記はその日に書くもの。
簡単なことを完璧に出来ている人は、すごいじゃあ、ありませんか。
それがたとえ自分のためだけであっても!
私は30年以上生きていますが、それがちゃんとできたという実感はありませんけどね。と思うのでありました。

娘はここを何も感じずに通過していくようで、ほんのり寂しいような気がしました。




2012年8月25日

ぼーっとしてるなんて、おもしろくない

ずいぶん前に娘がこんな事をいいました。

「なんでおとなは、じーっとしてても、ひまじゃないの?」

詳しく説明すると、お父さんは、しゃべらないし、座ったまま何もしないのに、なぜ退屈しないのか、わたしにはわからないよ。どうしてじっとしていられるの?という、素朴な疑問のようでした。

これを彼女が言った流れは、私は1秒たりともじっとなんかしてられない!何もしないまま時間がすぎるなんて、耐えられないんだからねっ!という話から。

大人になると、そういうことも面白くなるの?
何もしてないけど、いやじゃないの?
それ、おもしろいの?
ねぇねぇ、いっしょにあそぼうよ!

という感じ。

私も大人になってしまってるのか、大人の肩を持ちたくなりますが、
ぼーっとして何も考えてないときとか、何もしてないような時もあるんだよ。
君はそういうときに、「つまらない!」と思うみたいだけど、みんながつまらない!って思うわけじゃないっていうことなんだろうねえ。不思議なもんだ。というと、
娘は、「ほーーーーーーーーーーーーーーー!」と、おどろいていたようです。

「私にはいつそういう時がくるのかなー」だって。カワユス。
毎日たのしいんだろーなー、こいつめー。


わからないと、泣いちゃう

夜中にテレビを見ていたら、アスカコス(たぶん)で何かをしている女性の様子がたまたま放送されていて、見てました。舞台は、ヨーロッパらしく、はじめて見たのでルールはよくわからないけど、印象に残る事がありました。

桜 稲垣早希のブログを使った旅企画・第4弾
ロケみつ | 目指せ!ポルトガル ヨーロッパ横断ブログ旅 | MBS

そのときの様子がUPされている記事。
2012年8月25日 | 目指せ!ポルトガル ヨーロッパ横断ブログ旅: サンデーノー

旅の途中で、夜中に宿を探していて宿泊先が見つからず。
彼女は外国語があまり理解できないようで、親切に話しかけてくれた方の言葉がわからず、とても悲しそうな顔をしているシーンが放送されていました。
私はそれを見て、なぜか「赤ちゃんも、親の言っている事がわからなくて泣くのか?」と、思っていました。夜だったし。

自分に一生懸命話しかけてくれていて、話しかけてくれているのはわかっても、何を話しているのか理解できないとき、人は辛くなるのか。と。

おじさんは一生懸命、この辺のホテルは駅の近くなので値段が高いんだよ~という情報を伝えたいんだけど、彼女は外国語がうまく聞き取れず、ちぐはぐに。お互い情報がうまくやりとりできないのがわかっていて、通じないので、じゃあね。と、わかれてしまう。というシーンが、私にとってかなり印象的でした。


2012年7月18日

「わたしの日本語テキストの難易度は? - その後

oya?

更新を楽しみにしている読書猿さんの記事からリンクが?何かの間違いだろうと思っていました。
タイトルを見て(カフカと私にいったいなんのご縁が?)と思いながら、何回か見た記事が、こちら。

カフカ『変身』はラノベよりもずっと読みやすい←日本語難易度推定をやってみた 読書猿Classic: between / beyond readers

「赤いろうそくと人魚」好きだよ~♪と思っていると、記事の最後のオマケに、私が2008年に書いたブログの記事へのリンクが!今日気づいたよ!そうです。そうです。

2008年に、[を] 日本語テキストの難易度推定ツール『帯 1.x (obi-one)』という記事を読んで、「日本語テキストの難易度を測る」というツールを試した記事ですね。

あれから、数年経ちました。
私はずっとブログを書いていますが、4年ほど経ち、自分が使っている日本語の難易度はどうなっているか、試してみました。

自分の中では、結果が「とてもむずかしい」が出たほうがかっこいい!と思いました。が、そううまくはいきませんよね。

2012年7月13日

OH!!! 自分の強みを知る診断をやってみた

自分の強みがわかるらしいという、ことで自分の強みを知る診断をやってみました。

アップルパイのひとのこの記事を読んで、面白そうだという好奇心でやりました。

何かに登録しないといけない(第1のハードル)のと、質問の数が子どもの時公文の教室に通っていたときのありえない量の宿題レベル(第2のハードル)でしたが、わたしはやりましたよ!やってやりましたとも!!!

長所を伸ばせ!手っ取り早く自分の強みをあぶり出すテスト | jMatsuzaki
これはおもしろい!!自分の強みを知る診断をやってみよう! | KeiKanri

質問数多いぜ・・・もう二度とやりたくない・・・_ノ乙(、ン、)_

と思いつつ、どんな結果が出るのかたのしみでしかたない!という気持ちだけでやりました。

がんばったぜぃ・・・その結果が    



2012年6月16日

俺はちゃんと捨てている!~ビールの空き缶の話~

ある日の、私の大発見(おおげさ) よくこんな会話を夫婦でしていました。

 妻「あなたいつも自分が飲んだビールの空き缶くらいゴミ箱に捨ててよ!」

 夫「俺はちゃんと捨てている!

 妻「はぁ?私が捨ててるわよ!

 夫がビールを家で飲んだあと、そのビールの空き缶をテーブルの上に置きっぱなしでちゃんと捨てないことに対する、妻の不満と、夫の主張です。

この会話で謎なのは、誰がビールの空き缶を捨てているのかなのですが、どうもおかしいのです。

夫 → 自分でちゃんと捨てている

妻 → 私が捨てている

夫は、いつもビールの空き缶は自分で捨てていると主張。
妻は、自分でちゃんと捨ててないじゃないか。と、言っています。

くだらない話題なんですが、なぜか真剣に考えていました。


2012年4月14日

答えはそこにはナ~イナ~イ

あたかも何かの答えがあるような錯覚に陥り、
きっと、いつか、なにかわかるにちがいない!
と、得体のしれないやる気で、いろいろなことを知ろうとしますが、
答えはそこにはナ~イナ~イ。

数秒で納得するも、数か月、数年取り組んでみて、そうだな。と思うのも又良し、
だいたい、自分がこうだなと思うことで決着がつきます。

絶対こう!という決まっていないものは、
これに決め!と、決着をつけるときが、自分にきます。

自分で決着がつけられないことを、
人が、こうです!というので、それでいいです!ということにするのもよし。

でも、いつも人に決着をつけてもらってて、いいんかね。

あなたはそう!わたしはこうで、ユーはSO!

2012年4月12日

前髪が長い

「前髪を切ろう!」「いやだ!」 

流行りなのかなんなのか、娘が前髪が「長いほうがいい。」と言い出し、なかなか前髪を切らせてくれませんでした。

周りの人に説得してもらい、前髪をせめて目にかからないくらいにしたいと思ったのですが、娘は「切らない。」の一点張り。

その間に、前髪はどんどん長くなり、目が隠れるほどになりました。

これは困ったぞ。ということで、私はこんな話をしましたね。


2012年3月20日

不勉強ですみません。自習していました。

本日は、日記です。

いきなり何を書いたんだ!?と思うような、ブログ記事の考察的な記事を残したまま、ブログ更新を放置するほど、自習の旅に出て、遊んでいました。

先日、娘が風邪をひいたようでお医者さんに行きまして、たまたま読んだ本(本のタイトルは忘れました)に、不勉強な子について書かれているのを読んで、感動していた私です。

勉強といえば、学校の勉強や問題、試験などが思い浮かんだので、そういう勉強しない子について書かれていると思ったのですが、「子どもの遊びは勉強です。その勉強をしない、不勉強な子が増えています。」と言ったことが書かれていました。

といっても、小学生くらいまでの子について書かれている内容だと思ったので、私には関係ないと思いつつも、なにか心に引っかかるものがあったのですね。

2012年3月5日

ブログ記事を作成するために11個のことについて考えた

ブログ記事を作っているものについて考えていました。

私が昨日考えていたブログ記事の要素はこちらです。
それぞれについて、どうすればよりよくなるかを考えていました。

  1. 記事のアドレス(URL) 
  2. 記事タイトル
  3. 投稿日・投稿者
  4. 本文
  5. 画像
  6. 文章
  7. 見出し
  8. 重要語句
  9. リスト
  10. リンク
  11. 広告

これらひとつひとつに対して、何気ない気持ちしかなかったのですが、分解して考えてみると、それぞれとても素敵なものであることを、再確認できました。

自分の価値観や目的によって、こうするとよりよいと思う記事が作れるようになるのではないか?と自分で決めれば、記事を書く際に、迷うこと、適当になってしまうこと、無駄に時間をかけてしまうことが減るのではないか?と考えていました。

+++

項目の最後にあるリンク先は、それを表現するためのhtmlタグについて書かれている文書にリンクしています。私が昔から何度か読んでいるものなので、今では少し変わっているかもしれませんが、考え方はそれほど変わっていないと思っています。

2012年2月28日

せっかく結婚したんだし幸せな方がいいよねという話

べつに結婚だけの話じゃないんだけど的な話ですが、
先日、かあ様と電話しててそんな話をしてました。

結婚したらケンカよくやるよね~的な話をしていたんですけどね。

母は若いころは父とかなりバトルをやっていて、まあちょっと深刻度は高かったんですけど、私もそういう中で過ごしていたし、こっそりみんなの夫婦話を聞いていたら、ある程度はそういうのってありますよねぇ。というのを学習しました。

経験したり学習したからといっても、なかなかそれを自分の生活で活用できるわけでもなく、絶好調で夫とバトルをしてますね・・・(´・ω・`)

たいていバトルになる理由みたいなのが、
夫の帰りが遅いだの、一人で遊びに行きやがってだのなんですけど、

怒るからといって、夫が早く帰ってきたり遊びに行かなかったりしても、いるとめんどくさいとかいうんですよ。私という生き物は。


2012年2月27日

びみょうな違いを見つける

生活がほんのちょっぴり楽しく、そして苦しくなるエッセンス~。

違いがわからない。

これは私によくありがちな日常の出来事です。
わからなくても、気にしなくても、たいていどうにかなります。

でも、この違いのようなもの、これはなんていうのでしょうか?
微妙に見方を変えるというか、見方を増やして、同じものでも違った感じで見たり取り組んだりするような、知恵のような、工夫のような、考え方のようなものを手に入れると、ほんのりと楽しく、きゅきゅっと苦しんだりする日々を手に入れることができるように感じています。

違いがわかれば、自分はどうするか?という小さな選択をして、自分で決めた。という、楽しさがうまれるもんなんだなあと思いました。同時に決められないで困るという苦しみもうまれるもんなんだなあと思うときも。

2012年2月25日

わたしと近所のネコの話

私はネコを飼ったことがないので、ネコには詳しくないです。

私がネコと仲良くした記憶は、子どもの頃、ネコがすごく好きなおばあちゃんが飼っていたネコとの記憶しかないのですが、それ以外のネコとの思い出がなさすぎて、ネコに思いをほんのちょっと寄せています。

学生時代は学校にネコがいたので、少しだけ触ったこともありますが、卒業してからはまったく接することがありません。でも、ネコの存在はなんとなく感じる日々。

だっこしてみたいな~ネコ!

2012年2月23日

言葉にしてしまわないのもいいのかな

言葉にできる喜びは、子どもの成長を見ていてとてもよくわかりました。

自分が感じたことや思ったこと、うやむやとしたことが言葉にできるというのは、嬉しいことなのです。子どもは親が思っているほど、言葉にしていることは多いわけではないようで、「それはこういうんだよ。」と、教えた時の、嬉しそうな顔は忘れられないものです。

自分の状態を伝わりやすい言葉で身につけることは子育ての中で大事なことだと思うので、子ども同士で伝わるような、親としては少し使ってもらいたくない言葉も見守ります。

そういえば関係ないですが、言葉を覚え始めたときの「アンパンマン」と「うんこ」の連呼は思い出深いです。アンパンマンとうんこを、一生でこんなに聞く機会はなかったものですから…。

言葉というのは自分を苦しめるものでもあるので、自分が苦しくなる言葉ばかりを言葉にする必要はないというのも、教えたいと思っているのですが、その機会は今はなかなかみつかりません。

ああ、ひとつありましたね。

2012年2月22日

最近覚えた言葉「嫋」

先日とあるお兄様の書き込みに、美輪明宏さんの名言が投稿されていて、気になったので書籍を購入してみました。ブックオフオンラインで。

『人生ノート』『愛と美の法則』『ああ正負の法則』の3冊です。

私が読んだのは、『人生ノート』『愛と美の法則』ですが、
なぜか夫も興味を持ったらしく『ああ正負の法則』を休日に読んでいました。
『ああ正負の法則』だけは、漢字の横にふりがながふってありますよ。

好き好きがあると思うのでとりたて本をおすすめする気はないのですが、読んでいて私が気になったことをひとつ話題にしてみようかと思います。


2012年2月21日

起きたら月曜日だった話

土曜の3時くらいにくだらないことをやっていて、
そのまま寝て起きたら、日曜日の朝ではなく、月曜日の朝でした。

わけがわかりません。

朝から一人、
(おかしいなあ。何かおかしいなあ…何かがおかしい気がする…)
しかし何がおかしいのかわからない。
という状態で思い悩んでいると、夫、起床。

夫が起きてくるまでの間、思い悩んだ結果、
(今日は日曜日ではないようだぞ。)
というのに、うっすらかんづきはじめていたので、聞いてみました。

私「今日、なん曜日?」
夫「月曜日。」
私「私って、日曜日、何してたの?」
夫「ずっと寝てた。」
私「えっ……松ケンは……」
夫「…………。」


ショックすぎます。
月曜日だったことより、松ケン……、
平清盛(日曜20時放送のドラマ)を見逃したことに。

松ケン好きの私が、平清盛を見逃したことを知った瞬間に
空気が凍りついたのをさっした娘と夫の(あっ……)っていう反応が、
今でも忘れられません。

ああ。
おはようございます。

2012年2月18日

誰に書くことにしたのか

このブログは検索エンジン経由のアクセスなどをそれほど考えていないし、アクセスアップもやってない。何でやってないのか?

このブログはと書いているように、すべてブログのスタイルをそうしよう。と思っているわけではないのだけど、じゃあ、ブログで何をしてるのさ。文章の練習をしてるのか?というわけだけど、そういうわけでもない。

私に興味を持ってブログを読んでくれた人に、書いている。
その人、誰なんだよ。というわけなんですが。


2012年2月16日

日常会話で使うと恥ずかしかったネットの言葉(私は3つ試した)

ネットで覚えたネットで使われている言葉を、
ほぼネットには関わりのない家族の会話で使ってみたら
得体の知れない恥ずかしさを感じた話。

2012年2月15日

覚えた言葉「ふっきれる・断ち切る」


いつからでしたでしょうね。

私は、言葉で考えごとをしているみたいで、言葉をもつと、ちょっと賢くなった様な気がして行動が変わる幻想のようなものを持っています。それは違っていた。という経験しているし、怖いことだとも思っています。

私の文章からもよく出ていると思いますが、私はクヨクヨとしているところがあり、そればかりに傾くのも良くないなあ。前進しないなあ。と思っているので、それはどうしたらいいのかなあ。と、思っていました。もどかしい感じの人なんですよね。

クヨクヨしているのは、この世界で、私だけかもしれません。
そういう自分をわりと恥ずかしいとも思っていますよ。

2012年2月14日

怒ると叱るのちがい

むすめへ

ブログに書くことが特に思いつかないので、私が生活していて見つけたちょっとした違いを君に教えよう。間違っているかもしれないけど・・・そのときはごめんねー!

生活していると怒っていたりする人と遭遇することがあると思う。
自分に向けて何か怒られたりすることもあるだろう。
でも、”怒っている”というのは何もかも悪いとすぐに判断してはいけない。
君は賢いので、そういうこともよくわかっていたようだけど。

2012年2月13日

個人ブログで苦悩だったこと

「そんなことができるのか!」と、よくもわからないだけに、ブログdeドリームに翻弄されることもあるけれど、それは、ブログの例のひとつであり、そればかりではない。ということを忘れていた。大事なのはそのドリ~ミ~な部分ではないんだよね。ね?

ネットをしている興味や関係のない不特定多数の気を引くことができて(よし!私の記事、注目された!わたしイケてる!)なんていうことは、憧れるけれど、そんなことができた自分に満足したいのかは(そうだったっけ?)と、よくわからないのであーる。

2012年2月12日

(続き)このブログでやめたことと、残ったこと

ブログの軌道修正することにした。
そのために、やめてみようと思ったことがあった。
  1. 写真を記事に載せる
  2. アクセスアップ
  3. タイトルの工夫
  4. コメント
やめてみようと思った理由を書いてみよう。書けるかな。

2012年2月11日

このブログでやめたことと、残ったこと

このブログをやるために、やめたことがある。
そして最後に残ったものがある。シンプルになったので、たいへん清々しい。
いい気分で、ブログも楽しい。

そんなの当たり前だよ。何を言ってるんだ。と思われそうだけど、インターネットのしすぎで、頭がおかしくなっていた気がする。

そういえば、このブログでやめたことをリストにしてみよう。

2012年2月10日

自分都合でブログをやっている


自分以外の人にとって役立つ・ためになることを発信するのは、私以外の人がとてもうまく記事にしていて、それを読んで唸っている。私はあまりそう言ったことを書かない。
なんていうのは嘘。そういう記事を書く努力はしていないが、正しい。

自分都合でブログをやっていて、ブログが書けることが自分の喜びである。
しかし、その喜びのために、人を巻きこんでいることは自覚している。

自分の文章を読んでくれる人に対して、感動させて泣かせてやりたい。少し幸せな気分になるといいなあ。と、思うことはあっても、不幸な気分にさせたり悲しい気持ちにさせてやりたいと、強く思ったりはしていない。
記事を使って、読んだ人の生活などを変えてやろうとか思っていないし、何らかの気持ちをコントロールしてやろうということを狙うことはあまりやらない。
ましてや、世界を変えてやるんだ!なんかは、思っていないはずだ。


2012年2月9日

ガンバリの誤解と錯覚

朝起きた瞬間に、何かに「!!!?」と思ったので、衝動的に記録しておく。
どういう状態が「がんばる」のかを、誤解しているかもしれない?と思ったことを書く。自分の中で浮かんだ感じを書きとめるので、まとまりはない。30分くらいでこの感じが消えるので。
  1. 自分が苦しい状態でも我慢してやる状態
  2. 目標のために多少の制約ができてもそれをやり遂げようとしている状態

ニュアンスがちょっと違うので、それについて書く。

2012年2月8日

(うふふ。)


はてなブックマークのコメントを見ていた。
ここには、お茶の間のテレビの前で人が集まってワイワイやっている感じがあり、それがおもしろく、その光景を眺めていた。

お茶の間のテレビの前でワイワイやっている感じというのを思ったのは、そこにかかれているコメントが、おしゃべり(口語・話し言葉)だったから。方言などは感じられない。
ブックマークのコメントで書き言葉のようなものは、私が見ている限りではめずらしいようにも思う。

インターネットへの書き込みなのに、なぜ話し言葉を使っているのか?という素朴な疑問がむかしあった。


2012年2月7日

みじかな人から学んだことを考えるのがマイブーム


終わるまで考えなくてはいけないことをやっていると、頭のメモリは、そこに使うので妄想を繰り広げることができない。妄想というのは頭だけで壮大な世界を作って遊ぶので、かなりのメモリが必要な重労働でもあると思っている。

こういった遊びができなくなると、楽しみがなく、ぽや~ん。とする。考えていないわけではないので、おなかすいた。眠い。おなかすいた。つけまつけるつけまつける。眠い。うをっ!みたいになってしまい、精神的に退屈である。

しょうがないので、他にこの限られた状態で遊べることはないかと、虎視眈々と過ごしていた。

その時、たまたま私がとても興味を持っているさかなクンという人物が登場していた動画があったので、それを3回ほど見た。

さかなクンに対しては好意を持っていて、心のガードがゆるいので、そうだよね。そうだよね。と思ってみているのだが、そうしているうちに、この人はなんて素敵な人なんだろうと思いはじめ、なぜこの人はこんなに素敵なのであろうか?と、考えはじめた。

あなたの意見よりも、さかなクンのギョギョギョのほうが信用できる。とさえ思う。
これが信仰……いや……寄生というのであろうか。


2012年2月6日

素敵な写真を撮っている人から学んだこと



私の写真があまり美しくありません。
とある日に、何かを撮影した写真が例えばこれ。
うまいこと言えば、味があるとも言えるかもしれませんが、何か美しいのか素敵なのかはなぞめいています。

素敵な写真が撮れる人は、なぜそんな写真が撮れるのか不思議です。


2012年2月3日

完璧なものを良しとしたい心



生きていると、完璧なものを良しとした価値観で生活しているなあと思うことがあります。
いわゆる、欠点なく優れているいるものが良い。という感じだと思いますが、自分の中では「そりゃそうだろ!」と、当たり前だと思い込んでいるかもしれませんし、ちょっと考えて「完璧なのもどうかと思うよ」なんて思ったりもします。

じゃあ、完璧じゃないものは優れていないか?よくないのか?と言われると、「そういうわけでもないよ。」と思ったり、「まあそういうこともあるよね」と思う反面、わりとそれに対して否定的な気持ちを抱くこともあります。

じゃあ、自分の思ったことをちゃんと話すことができるのはよしと思っていた場合、それがまだ言葉を覚えている途中でうまくできない場合、ダメだよ!と思わず、こういうんだよ。とか教えたり、わりと寛容だったりします。


2012年2月2日

はてなOneが招待制だったので、ひさびさにはてなブログをみた


はてなの「はてなOne」というサービスがリリースされ興味を持ちましたが、 招待制だったので、使っていません。招待されていないため、このページ以外に見る場所がなかったので(へ~)と思って終わり。
http://one.hatena.ne.jp/
はてなOneで実現したい世界は、「オープンなインターネット」と「プライベートなインターネット」の両方が楽しめる場所です。そのため、ともだちだけに自分の氏名やプロフィールを公開できる機能を備えました。様々なはてなのサービスを、ともだちと一緒に、オープンでもプライベートでも楽しめます。
はてなをともだちと一緒に楽しむ「はてなOne」をリリースしました - はてなOne開発ブログ(2012-02-01)
はてなのサービスをともだちと楽しむことができるそうです。
よく考えてみると、私ははてなのサービスは一人だけでたのしんでいて、自分以外にはてなのサービスを使っている人の存在感は感じていましたが、とくに一緒に楽しんだ記憶も思い出せません。

ああ。そう言えば去年、はてなブログがリリースされたの思い出した!ということで、はてなブログを見てみることに。

はじめてつくったもの:2012年1月


大人になったと言っても、まだまだ未体験ゾーンというのがあるようで、”はじめてつくったもの”ということで、そんなものを記録しています。

2012年1月は、娘が折り紙にはまっていたので、いっしょに折り紙をしていましたが、娘がかりてきた折り紙の本の難易度が高くて、今まで折ったことがないようなものを折りました。

これは、かえるを折りました。
花を折ろうと思ったのですが、途中でわからなくなったのでかえるを折ってみたら折れました!すごい!


おりがみ


さらにむずかしかったのが、かたつむり。
わたしは、でんでんむしって言いますけど、かたつむりです。

背中のからのところが丸くて
(これはむりかも・・・)と思ったけど、完成したので感激♡


チキン南蛮



Facebookを見ていると、美味しそうな昼食の画像が投稿されていて(チキン南蛮食べたいなあ・・・)と思い、はじめてチキン南蛮を作ってみることに。もうちょっと鶏肉に味しっかりつけたら美味しかったかも。家族の反応は、すごく良くて、喜んでもらえました。わーい。また作りたい◎

参考にしたレシピはコチラ
一番人気!チキン南蛮! by ダナエ姫 [クックパッド] 


ミートボール


娘と買い物に行って、ハンバーグを作ろうかという話をしていたのですが、お弁当のミートボールって美味しいよね。ということで、ミートボールを作ってみることに。レトルトのミートボールの味に馴染みがありますが、そういう感じじゃなくて、ハンバーグに甘酢あんをからめたみたいになってしまい、家族の反応はイマイチでした。
mmm・・・。再チャレンジはどうでしょう。

参考にしたレシピはコチラ
激うまっ♪肉団子 by kiichu [クックパッド] 


2月も、まだつくったことがないものをつくってみようと、思ったりしました。
料理なんかもそうですが、つくったことがないものって、多いんですよね。

はじめてつくったかもしれない!?と思うと、楽しいです。ふふふ。

動画

ああ。そう言えば、これもはじめて作ったにしよう。
ウェブカメラで、動画を撮影して、YoutubeにUPする。


2012年1月30日

のびのびしたいな~~~~~


人の目を気にして、自分の持てる力の20%くらいしか出てないのではないかと思う今日この頃です。おはようございます。




のびのびしたいな~~~~~

人の目を気にして、自分の持てる力の20%くらいしか出さず おわり


★☆追記★☆


2012年1月28日

Twitterの★お気に入りに登録



先日、見た目が変わって動揺したTwitter
その「★お気に入りに登録」というのに、困惑しています。

Twitterクライアントを使っている方も多いみたいですが、ブラウザで見ているときに、投稿の右上のほうに「★お気に入りに登録」というのがあり、それをクリックするとマークがつきます。

たまに押しそこねたりするのですが・・・


下に移動するのやめて・・・。
一瞬どこに行ったのかわからなくなる私も切ない・・・。


2012年1月27日

千円札の夏目さん



私は、ちょっとワルな大人の女性を気どろうと思ったのか
「福沢さんが好き。」という投稿をしました。
柄にもないことをするもんじゃあないですね。

さて。そんな話をしたので、
財布の中を見てみると、夏目さんが5名。

かっこいいですよね。夏目さん。


2012年1月25日

当たり前だけど、家族や友人の写真を撮ろう



こういう写真をよく撮る私です。こんにちは。

いつ、何をどう間違ったのか分からないのですが、カメラで写真を撮っているにもかかわらず、家族や友人の写真を全く撮っていない現象が起こっていました。

撮影していても、なぜか顔をうつしていなかったり(手元だけとか)、後ろ姿だったりと、かなりの重症・・・。そうです。ブログに載せるための写真に気が行き過ぎて、使えない(顔が出ていたりするもの)をあえて撮らないというスタイルになっていました。

すごく当たり前すぎて、君は何を言っているんだね?と思いますが、大事なので書きます。

家族や友達の写真を撮ろう
自分がうつっている写真を撮ろう
そして、それをできるだけたくさん撮ろう。

これは私の後悔がわりと大きい失敗です。
数年後に気づきます。

・・・そんな失敗するやついねーし。
ですよね~~↓(´・ω・`)

2012年1月24日

Twitterの見た目がいきなり変わったのに誰もそのことを話題にしていなかった時の動揺(2012年1月)



パソコンでふとTwitterを見たら、何か様子が変だ。
Twitterのロゴがないので(あれ・・・これTwitterだったけ?)と思い、URLを見たら、どうやらTwitterらしい。

ということで、「Twitter変ったぁああ!」とかのつぶやきが、TL(タイムライン)に表示されてるかな~と思ったのに、誰もそのことをつぶやいていないため、私は困惑しました。心が乱れました。


2012年1月20日

いまどういう状態なのか伝える表現方法を学ぶ



はてなブックマークでこんな記事があったので読んでいました。
こどもが心を開く親の話し方

この記事は、まあこれとはそれほど関係ないことを書きますよ。

子どもと接していて、言葉を使うようになってから、お互い言葉でやりとりするようになりました。
私のほうが長く生きていて、言葉を使っている期間が長いので、言葉に対しての受け止め方が子どもとは違っているようで、子どもが使う言葉をそのまま真に受けたり、言葉を押し付けたりしていたため、うまくかみあわないことを実感していました。

「おかあさん、きらい!」
なんて言われて、ひどく落ち込むことがありました。
きらいだなんて!辛すぎる!

でも、これは「きらい」ということを伝えたいのではないです。
私の自信のひとつですが、子どもは確実に私のことが好きです。

何かを伝えたいんだけど、「きらい」という言葉の他に表現する方法がなくて、自分が使える言葉の中から、感じていることにもっとも近そうな言葉を使ったのだと思います。そうだとはわかっても、何を伝えようとしているのか?というのが、なかなかわからない私に対して、子どもはヤキモキして、きらい連呼するので、頭フル回転です。あと、きらいじゃないのはわかっていても、わりと傷ついてます。

2012年1月19日

好きっていうのは嬉しいことみたい


なにかが好きな自分が好きなのか、単純に好きなのか。
そんなことを思いながら考えていたら、何かが好きだなあ。という気持ちがあるのは、私の中で、嬉しかったり、喜びだったりするらしい。ということが、わかった今日の朝です。おはようございます。

いやいや。好きっていうのはそんな単純なものではないんだよ。てやんでぇ!
と思ったけれど、嬉しかったり喜びがそこにあるらしいぞ。というのに気づいたので、今日はこれで良しとします。

2012年1月18日

@wolf250 似顔絵イラスト応募します


ブログに表示させているアイコンが自作のマウス画で、頭に毛がないような気がして気になるので、wolf-blog(うるふぶろぐ)さんの、似顔絵イラストプレゼントに応募しようと思いました。

所持してるゲーム機がNintendoDS(娘の)で、好きなゲームがRPGで、モバゲーの農園ホッコリーナにはまっているような私が応募しても、wolfさんにふりむいてもらえるか、心配になってきました。

【1月分募集】あなたの似顔絵イラストをプレゼントします! | wolf-blog

wolf-blog:似顔絵イラストプレゼント

2012年1月17日

「学校」という映画をみた

学校 [DVD]


夫が好きな映画かなんだかで、山田洋次監督の『学校』という映画をレンタルしてきて、家族でみることになった。彼は思い入れのある映画だそうだが、わたしはこれについて、全く知らなくて、休日にいきなり観賞会がはじまり、ちらちらとみていた。

何か昔の雰囲気がして、おちゃらけお涙ものは、きついのでやだよー。なんて言って、真剣にみないもんね。というそぶりをしたけれど、これをみおわってだいぶたってから、じわじわとくるものを感じているので、おどろいている。
学校 (映画) - Wikipedia

2012年1月16日

そこにあるブログを毎日更新しようと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。


空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。
坂口安吾 ピエロ伝道者
新年から、毎日ブログを更新しようぜという流れを見ていて、おもしろそうだったので見てました。


実は私は「ブログが書けない・できない」と思うことを、心から感じたのは、「毎日書かなくてはいけない」と思ったときだけで、それ以外は特に感じたことがありません。

何があったん… ブログの呪いにかかってるんではないのか・・・((((((;゚Д゚))))))

2012年1月13日

一人ミーティングを巨木の下で行う


一人ミーティングというのが、MTGなのかどうかはさておき、一人で物思いにふけるというのは良いなあと思いました。カフェとか好きなので(そういったところでわたしもやろう!)と思ったのですが、他によいスポットはないか考えたところ、巨木の下などもよいかと思いました。


2012年1月12日

本「呪いの時代に」読みたいなと思ってたらの話

私をなんとなく知っている人は、私がしばしば「呪い」みたいなことをくちばしるのを知っていると思います。

私にとってのはじめての呪い話はおばあちゃんから聞いたもの。
田舎だったのでわりと信仰能力が高かった地域で育ったのですが、子どもの頃おばあちゃんに「昔おじいちゃん呪われたんだよ!」なんていう話を聞かされて、「なんやねん、それほんまなん?!」と、衝撃を受けたことでした。

子どものころからほんとかどうかわからない話で、実際にあったのかどうか?というのは不明だったので出来事に関しては、おばあちゃんのお話ということで聞いていてあまり信じていませんでしたが、呪いみたいなのは、ありそうだよね・・・と思ったりもしました。

「結婚祝い」というのを書いていて、漢字が似ているなあと思い「結婚呪い」と書いたら、ぱっと見違いがあまりわからなかったので、よく考えたらこわい・・・というような、ことを思ったりしていました。

そんな「呪い」という字に感度高めの私が本屋さんで見つけて、読みたいわ~と思ったのが、内田樹さんの「呪いの時代に」という本。買わずに数日経って忘れそうになっていたら、こんな記事があったので読みました。

内田樹「呪いの時代に」 ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか  | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]


2012年1月11日

娘が言っていた「できないことがたまっていく」


爪を切ることができるようになった娘がお風呂上りに、足の爪を切りながらこんなことをつぶやいていました。

「あ~できないことがたまっていくわ~」

???
できないことって、たまっていくものなの??
やらなくちゃいけないことがたまっていく感覚はありますが、できないことがたまっていくという感覚はなくて、私はこう言いました。

「できないことって、減っていくだけなんじゃないの??」

すると娘は「そうなの?」と、ハテナ顔に。
私の感覚が、よくわからなかったのか娘はまた違う話題に。

「でも、しっぱいとかいやだなー。おかーさんは、しっぱいしたら、おこる?」

というので、

「失敗した時、怒ったっけ??」

と質問を質問でかえしてみたら、「おこらないよね。」と言っていました。
怒ったかもしれないけど、おこってなかったのかな・・・。


2012年1月10日

飲み会、ゴルフ・・・妻が夫にグチグチ怒る場合の妻の心の考察


今日、帰りが遅くなるから・・・。飲み会だけど・・・。
って、どうせまた怒られるから言い出しにくいよ。
かといって言わなければもっと怒るんだぜ・・・。
「今週末、ゴルフだから」って言ったらまた怒るだろうなあ。でも言わなくちゃなあ。

ってなわけで、妻が怒っているのを感じつつも帰ってもろくなことがないので2次会、3次会。そんなひと時を過ごし(酔っ払ってて何も覚えてないけどねッ!(*´v゚*)ゞ)・・・帰宅してみたら、妻が激怒して起きて待ってた!!!!
キャーーヾ(*゚A`)ノ騒動!

もはや笑い話にさえされているような夫婦の日常の光景のようにも思いますが、夫婦としてやっていくのに毎回これでは、めんどうです。妻の怒りも回を増すごとにヒートアップしているようにも思います。

何も言わずに笑顔で送り出してくれる妻、
帰ってきたらお茶漬けとか出してくれる妻。

そんな妻が理想かもしれませんが、現実は鬼の形相で(もしくは無表情か満面の笑みで…)椅子に座っている妻がいたり、数日間口をきいてくれなくなったり、家に帰ったら家のドアにチェーンがかかっていて家に入れなんて言うことも・・・。

理想と現実のはざまで、理想に近い都合のいい妻をお探しですか?


2012年1月8日

2012年、決めたことのひとつ

今年の目標は何に決めようか。ということを考えていて、
「来年から本気出そっかなあ~」と、思っていたのですが、
立花さんのこんな記事を読んでいました。

今年から本気出す人へ 「6本の柱」で5年後の自分を計画しよう | No Second Life

私は人が立てた目標に大きな関心を持っています。
この人は何をやるんだろう!というよりは、自分以外の人の意思がどこに向いて行動すると決めたのか、という自分の頭の中で考えられる以外の考えを求めているようです。

2012年1月7日

やり方を教えないで、勝手に怒らない

すごく些細な出来事なのですが、自分の中では印象に残っている、去年の話。

娘が自分で爪を切るようになりました。
ハァ?でしょうか……。
ですよね……(´・ω・`)

2012年1月6日

もう1度人生をやりなおせるなら?



目標を考えたいと思いつつ、どうしたらいいかわからない状態になって、頭が痛くなりそうになりましたが、たまたま見た「もう1度人生をやりなおせるなら?」という質問に答えると、抱負や目標を見つけやすくなりそうです。

私が人生をやりなおすなら、やりたいと思うこととやりたくないこと。
ざっと考えても、いろいろ出てきました。「今年の目標は?」という問いだと、考え込んで出てこなかったのに・・・。

  • やりたいとちょっと思ったけど挑戦できなかった習い事に挑戦しよう
  • 些細なことでくよくよ悩むだけになるのはやめよう
  • 毎年、家族や友達にプレゼントをしよう
  • 悪口を言って無駄な時間を過ごすのはやめよう
  • せっかく生まれたのだから、悲しみながら過ごすのはやめよう
  • せっかく生まれたのだから、人のためになれる力を身につけよう
  • 無駄なものを欲しがって、買ったことに満足するような買い物はやめよう
  • ちょっとくらい高くても、自分にとっていいものを買おう
  • お金は何かあったときに困らないくらい持っておこう
  • 本当にやりたいと思ったことをなかったことにするのはやめよう
  • 正しいといわれることに惑わされて無理をしないようにしよう
  • 自分以外の人が少しでも安心できるような言葉をちゃんと使えるようになろう
  • 自分で自分のことを決めよう
  • 人が決めたことを応援してサポートできる力を身につけよう
  • いろんなところに気軽に行けるくらいの気持ちを持とう
  • 広い庭がある家に住もう
  • 走ると揺れるくらいの大きさの胸を手に入れたい!!!!!!

もう一度人生をやり直そうと考えるので、今の自分を前提にいろいろ考えようとしないようで、やりたいことややめたいことが考えやすいと思いました。

これでどうにかなりそう!と私は希望を持ったのですが、
やってみたいと思った方が参考にできそうな記事。
他にもなんか調べてみたりしてください。
サイコドクターぶらり旅 - 「95歳の老人の詩」の本当の作者

質問は「もう1度人生をやりなおせるなら?」で、これにこたえました。

2012年1月5日

ほんと、今日は楽しいことなかった


なかなかいけていない状態になっていて、むりくりポジティブを作りだそうとしたのですが、無理そうなので、この状態について書こうと思います。

ダメージを喰らいやすいとか、わりと元気がない状態の方は、無駄に消耗したりするかも?!と思ったのですが、わりとどうでもいい感じに仕上がっています。

小さなチャンス


子どもというのは、親に何度もチャンスを与えてくれるのではないかと思いました。
これは勝手にいいように思って、チャンスなんかではないとも言えます。

チャンスは自分が追い込まれたときや、人生が大きく変わるところにしかないようにも思っていました。でも、もしかすると毎日チャンスの連続で、子どもというのは親になんどもチャンスを与えてくれているのかもしれません。

子どもからチャンスを与えられなくなった時は、親として見捨てられた時だと思います。

2012年1月4日

ダジャレのはなし

あなた、午年生まれ?

夫婦の会話をはずませるだかなんだかで、会話にダジャレを混ぜてみようだかそんなノリの番組を見て、私もダジャレを言ってみたら、家族みんなに軽く流されて寒かったぁあ!なんていう話を今日の朝していたのです。

私はその番組を見て、「ダジャレ言ってやろう!」なんて思ったのですが、ダジャレが思いつきませんでした。
ネットで調べたベタなダジャレを、家族に言ってみました。ぜんぜん無反応じゃないですか!!!ということで、使う前に使った後の使用感がレビューされていたらよかったのに!と、思いました。

ショッピングサイトとかでも使ったことがある方のレビューとか、あるじゃないですか。
なので、ダジャレも使用後の感想があったら、それが参考になりそうだと思いました。

なんだか、大阪の方なんかだと、これは鉄板という長年使ってきて確実にうけるネタを持っているらしいのですが、私はそういうネタがあまりないです。
むしろ、この「ネタがないこと」に残念がる必要もないと思いました。


◎ここはダジャレと関係ないですけん

年末に見たケンミンショーに、関西人が出てきて、家族ネタはオカンでしょ!子どものネタとかおもんないねん。みたいなのを見た気がします。

私はわりと共感しました。
おもろいかおもんないかだと、オカンは確かにおもろいと思いました。

私のオカンも、赤と黄色と青の鉢に入ったサボテンを育てていて「長女、次女、三女」っていう名前をつけて「今日もかわいいねぇ」と、わざわざ実家に3姉妹が集まっているときに話しかけていたりしてツッコミを待っていたりするので、わりとおもろいです。でも、オカンは調子に乗って何回もやりすぎです。すべりましたね。

私の周りの大阪の友達のオカンネタのレパートリーは豊富で、なんでやねん!オカン!話をよくしている気がします。オカンのほかにも、オトンネタ、おばあちゃん・おじいちゃんネタもある気がします。

◎というわけでダジャレなんですけど


  1. Dajare Station(ダジャレ・ステーション)- 駄洒落(だじゃれ)総合サイト
  2. ダジャレナビ - ダジャレ(駄洒落)のポータルサイト

ネットでダジャレを探していると、ダジャレは見つかるのですが、そのダジャレが安心して使用できたり効果がどうなのかというのは、わかりにくかったりします。
なので、安心して使えるダジャレがわかるといいなあと思いました。

大人の男性の方などからしてみると、「使ってみて自分で確かめろ!」だと思いますが、寒いのはちょっとやだな・・・と保守的になり気味になるんです。

でも、私は何か間違っていました。
ココロ社さんのライフハッカーの記事を読んでいると、大事なことが書かれています。

しかし、ダジャレをいくつか覚えておくことは悪くないことです。当たり前ですが、いまダジャレを言っても、面白いと思われることは絶対にないですが、「ここ一番で、あえて超つまらないことを言いたい!」というときには、ダジャレが有効です。
4万件を誇る、ダジャレのデータベース : ライフハッカー[日本版]より

「ここ一番で、あえて超つまらないことを言いたい!」
これが大事な心なのかもしれません。
この場がどうしようもない感じになる雰囲気を楽しむものなのでしょう。

ダジャレステーションではダジャレの評価がありましたが、うまい!みたいな評価で、笑えるとか、これはウケた!といったことは、あまり重要ではないようです。
「安心して使いたい!」と思った私は間違っていたのかもしれません。


http://kids.nifty.com/cs/game/detail/91125000224/1.htm

ダジャレ DE カルタ!:ゲームランド:キッズ@nifty
子どもにもダジャレを覚えてもらいたいときによさそうです。

ふり返るということは大事であると思った


2011年は「ふり返る」ということをどうしたらいいのかということが、どうもよくわからないまま終わってしまいました。2011年末になって1年をふり返りたくなりますが、1年に1度というのは、量が多かったりしてふり返られないということがわかりました。

かといって、毎日毎日ふり返っていると、ふり返られない日があったりした場合、どういうわけか残念な気分になって、やめたくなってきます。
私ったら、ちゃんとふり返りたかったんだろうな・・・と思いました。

2012年1月2日

2012年も使うと思われるサービス+使い始めたサービス


今年も使います。
よろしくお願いします。


◎何か書いています

http://twitter.com/
Twitter
わたし→もかり - Twitter
Twitterは気に入っています。
1年分のつぶやきは、ツイログを使ってCSVをDLしてみました。おどろくほどどうもでいいことしかつぶやいていませんでした。1年分まとめてみると文字数は約26万字(RTやURLなど含む)ありました。つぶやきも積もれば約26万字(RTやURLなど含む)。

http://www.facebook.com/
Facebook
わりとよく見ているほうだと思います。

http://www.google.com/intl/ja/+/learnmore/
Google+
わたし→mokari kyo - Google+
これといった思い入れはないのですが、画像をPicasaウェブアルバムに保存する時に便利。と、思いました。

◎見ました記録

http://b.hatena.ne.jp/
はてなブックマーク
わたしの→はてなブックマーク - RouxRil Bookmarks
今年も変わらずはてブします。

◎見てます

http://www.google.com/reader/
Google リーダー
読んでますよ~読んでますよぉおお~!

◎遊んでいます

http://pigg-life.ameba.jp/
ピグライフ - Ameba (アメーバ)
部屋や家具や服や犬や庭や牛や鶏や羊などを所有し、空虚な満足感に浸るロマン空間。課金は・・・ピグライフではやってません。


http://mbga.jp/pc/html/sg_fm/index.html
ケータイ農園ゲーム 農園ホッコリーナ -モバゲー
今TVCMが流れてると思うんですがホッコリーナもお気に入りです。課金は・・・してません。

◎届いたら読みます

https://mail.google.com/
Gmail
「一番好きなサービスは何ですか?」とか「なくなると困るサービスは何ですか?」と聞かれたら、「Gmail。」と、答えるのは私です。

◎ためこんでます

https://www.evernote.com/
Evernote
それなりに使っています。

http://picasa.google.com/
Picasa
今年はこれを使おうかなあと、2011年末に思ってBloggerを使ってみることにしました。

◎いつもいるなあ・・・と言われがちな・・・

http://www.skype.com/intl/ja/home/
Skype
そういえば、わが家は今年からビデオ通ができるようになるんですよね。

http://www.chatwork.com/
チャットワーク
1月1日からはじめました。

以上、わりと時間は使ってると思うけど、無料で利用させてもらっている、2012年も使うと思われるサービス+使い始めたサービスです。

今年の初虹です。娘がみつけて教えてくれました♪

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