前の記事の続き。
この記事を書いた後に、残念というか複雑な気分になっていました。
娘のこの発言は、私に向かって対話を強く求めて話されたものではない。と、その時は感じましたが、私にとてつもない衝撃をあたえた言葉です。
やけにひっかかっていたので、考えていました。
何が、残念だったか。
この残念な気分というか、なんでしょうね。
この気持ちは、なんとも言葉にしにくい感じなのですが。
普段から私のアンテナが弱かった事に対する残念さみたいな感じで、猛烈に反省している気持ち(というと、綺麗に聞こえるので、言い直すと)、なんてこった!私はいったいなんてことをしてしまったんだ!でしょうか。
娘が言った言葉には、おそらくこれから彼女にとって大事に育て、守っていかなければいけない何かがあるとさっしました。
それに対して、私は、何もしなかったことに落胆しています。
簡単に言うと凹んでます。
娘が言った事は自分の気持ちを言語化することができているので、強い想いがあるものだと思いました。私はそれを”気持ち”ではなく”言葉”として受け取っていました。
無礼な事をしていた。本来ならば戒められるべきことなんですが、それを言わない相手に、なんて酷いことをしていたのだと思うと、猛省しています。
私は、自分の気持ちを表現することは、すごい事である。と思っていて、表現する側と受け取る側の真剣さが欠けると、同じものが見られないです。
同じものがなぜみたいのかって?相手のことを大事に思っているからですよ。
なんてこった。ほんとに自分にガッカリした。ほんとにガッカリした。
何で私はこんなにアホなんだろうか。アホのくせになんて怠惰なんだ。
こういったことは、何度も娘から受け取っていたのですが、
娘は諦めずに私に発信してくれました。ほんとに、ネ申だと思いました。
お母さんはね、やっとそれがわかったよ。
昔は、寒くても何も言わないで鼻水たらしながら笑顔だったし、寒くてもパンイチだったりしたのに、寒いことを「さむい」と言って不機嫌な顔をするようになったり、寒いので布団の中からなかなかでてこなかったりするようになり、怠惰をしていたようです。怠慢ですよ。怠慢。
人を育てるということは長い道のり。
歩みをゆるめることはあっても、とまってはいけないと思いました。
毎日成長しているんだなあ。と、思うんです。
大人になってもずっと歩いているんだな。と、思うんです。
この日、私は娘と一緒に太鼓の達人を9曲も叩きました。
二人で600円も使ったわよ。