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2013年8月26日

ブログは料理に似ている

ブロガーサミット2013というイベントがあり、行ってないので何があったのかよくわからないのですが、楽しそうでした。

私はブログも好きですが、Twitterもだいぶ好きです。Twitterおもしろいですよね。

ブログは楽しいものですが、より楽しくなるようにするならどうすればいいかたまに考えます。うそです。考えてないです。

どう風呂に入ったら風呂の時間が楽しいかとか、毎日どんな風に過ごしたら1日楽しいかとか、毎日料理作るのどうしたら楽しいかとか、自分の楽しみ方を追求すると同時に、それをするために何が起こると楽しくないかとか、どうすればよくなるかとか、いろいろ考えます。うそです。考えてないです。

毎日似たようなことをしているけれど、こんなこともしてみたら楽しかった。
たまたまこんなことがあって楽しかった。という楽しみもあるのは事実です。

私の中ではブログもそういうことに似ているところがあり、先にあげたことの中で当てはめるなら、ブログは料理作るのにいちばん似ているかなあと思います。

レシピブログの話もあったようですが、ブログを続けるのは、私にとっては毎日料理するのにとても似ていると思っていました。


2013年8月25日

たまに夫婦でよくやるやつ

夫が困るやつです。



2013年8月13日

ハチに刺されて思ったこと

もう刺されてからだいぶたっています。生きてます。

最近、夜中にハチに刺されました。
自分の足にアシナガバチが引っ付いているのを見て、はじめは全く意味がわからなかったんだけど、数秒考えた結果(わたし、死んだな)と思いました。(これは遺書とか書いておいたほうがいい?)とかも思いましたが、よく考えたら、まだ生きていた。

(うを!生きてた!これは、生きねば!)と思い直し、すぐに応急処置をしたりしました。
私はラッキーなことに、ショック症状が出ることなく、生きていました。
刺されたところは数日痛くて、数日後、痒くてたまらなくなったけれど。

+++

今までは、ハチを見ても、(ハチだな~)くらいにしか思っていなくて、ひどく怯えるようなこともありませんでした。
でも、一度ハチに刺されたからか、ハチを見ただけで今までなかった警戒心が生まれるようになりました。

こういった自分の変化について、ふと思ったことは、
自分に何かあるものには、警戒したり、慎重になったりするものだということです。

たとえば、食べてもアレルギーが出ない食べ物には、注意しないとか。
健康だと病気になる前に予防しようと強く意識しないとか。

いろんなことへの注意をそこまでしないで生きられます。
だから、慎重だったり警戒している人を見てもよく理解できなかったりもできてしまいます。
自分には関係ないかもしれないけど、注意している人が感じている警戒のサイン?シグナルみたいなのは、その人にとっては意味のあることなんだということです。

そういうのを見て、人にいちいち、「なんでそうなの?」なんて聞くことはほとんどないんだけど、理由があるんじゃないのかなあと意識できるようになったので、私ハチに刺されてよかったですねッ!

まあ、いろいろです。

子どものころ夏休み、おばあちゃんちでひとりボッチになった時の思い出

小学生くらいのころから、夏休みにおばあちゃんちに遊びに行っていました。

私が子どもの時の、ある年の夏休み。
「おじいちゃんがいるから。」と言って、おばあちゃんが出かけていきました。
夕方には母が迎えにくるのがわかっていたので、部屋で猫と遊んでいました。

猫は気まぐれなのか、ちょっと遊んだらどこかに行ってしまい、すごい広い畳の部屋でひとりぼっちになりました。おじいちゃんは、畑にいるみたい。

田舎なので何も音がしなくて、柱時計がカチコチする音しか聞こえてきません。
いつも住んでいるうちではないし、ここのうちのご近所さんもお盆でどこかに行っているみたい。

縁側に座って、ぼーっと庭を見ていたら、急にすごい孤独感のようなものに襲われて、涙が出てきました。

みんなどこかに行ってしまった。
誰もいない。
自分ひとりになってしまった。

という感じの、なんとも言えない寂しさでいっぱいになって泣いていたら、畑からおじいちゃんが帰ってきたようなので、泣いているのがばれないように涙をふいて、猫を探しているふりをすることにしました。

おじちゃんは、まったく何も喋らない人だったのと、怒ると怖いので、二人っきりになっても、どうしようもないと思っていたんだけど、畑でとったトマトを持っていて、(おやつがわりに食べろ)みたいな感じで、私を見つけて渡してくれました。
もちろん何も喋らないw

しばらくすると、おばあちゃんが帰ってきて、その時の安心感といったら!
子どものころの私、どんなけ安心したことか。

+++

年は過ぎて、私は今は、夫や娘がいるので、たとえ一人で家にいても、みんなが「ただいまー」と家に帰ってきます。でも、たまに思うんですよね。

待っても、待っても、誰も帰ってこない時がくるのかなあ。と。

子どもが結婚して別の家に住んで、夫婦二人で住んでいたおじいちゃんとおばあちゃん。おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんはしばらく一人で住んでいました。
でもおばあちゃん、ある日、なにもわからあへんようになってしまった。

私だって、もしかすると、年をとって体の自由もきかなくなってしまった時、待っても待っても誰も家に帰ってこなかったら、なんもわからあへんようになったほうが、幸せかもしれへんなあ。と、思ったりもしました。
残念かもしれないですけど、そのくらいさびしいはずです。

でも、まあ、今はそんな日々ではないので、
このことは、しばらく忘れていよう。

2013年8月12日

父娘で映画を見に行った時の感想の違いが面白かった話

ある日、夫が娘を連れて映画に行きました。

夫は、ジブリの「風たちぬ」を、休日に娘と見に行こうと思っていたようですが、娘が一緒に行ってくれなかったので(気の毒に!)、切なそうにしてました。

ジブリはアニメだし、公開すぐに休日に見に行くなら、周りはファミリーやカップルが多いとも予想され、わりといつも感動して泣いてる気がする夫なので、私は、

「おっさん一人で行って、号泣とかしてるとか怖くないか・・・。
 娘が一緒だったら、お父さんかもしれないけど、ひとりだったらおっさんだよね?」

と聞いてしまいました。
夫は、

「俺、おっさんじゃないもん!」

と主張したけど、やや不安な気分にさせてしまったようで・・・。
結局、子どもがいなさそうな夜の時間帯に、一人で見に行ったらわりとよかったらしい。


+++

映画を見に行く前の夫と娘の私への報告


無駄に不安を煽ってしまったからか、夫はジブリの他にもう1本見たかった映画があり、それは娘を誘って一緒に映画館に行くことに成功(よかったね!)

(それ、ジブリより一人で見に行っても大丈夫な映画じゃん・・・)とは思ったんだけど、二人で出かけることに決まったようです。決まったことを、それぞれそれを私に報告してくれたんですが、

娘によると
「おとーさんといっしょに映画にいってあげることにした。(´・ω・`)」

夫によると
「ご褒美に映画連れて行ってあげることにした。(o´▽`o)」


夫、夫よ・・・(´;ω;`)ブワッ

私は複雑な気分のまま、
二人が映画に出かけていくのを「いってらっしゃ~い」と見送りました。
(ヤッタ!今日、夕飯作らないでいい!)


+++

映画を見てきた夫と娘の感想

夜になると、二人が帰ってきて、
それぞれ映画を見た感想を教えてくれました。


娘によると
「ぜんぜん面白くなかった!!!!!!!(´・ω・`)」

夫によると
「すっげーおもしろかった!!!!!!!(o´▽`o)」

娘は無理やり連れて行かれたので、おもしろくなかったのか?
アニメじゃなかったからだろうか?内容気に入らなかったのかな?
と思ったんだけど、ずっと話を聞いていると・・・


なんでか字幕版を見たらしい!!


なんでやねんw
まさか字幕版のほうみたなど想像できなかったよ・・・。

娘は小学校中学年なのである程度、字幕は読めたけど、
まだ知らない漢字があるし、字を読むのが大変すぎて、おもしろくなかったんだって。

二人で映画に行って、うまくいったのかどうなのかよくわからなかったけど、映画でおもしろかったところを二人とも一生懸命私に話していたので(私は聞いてもなんのこっちゃわからなかった)よかったのかなあと思いました。

ちゃんちゃん。

2013年8月10日

ブログを続けてきて最悪だと思った出来事 #ブロガーサミット

夏ですね。そちらも暑いでしょうか?

【ブロガーサミット2013】 あなたがブログを続けてきて良かったと思った出来事を、ブログに書いて教えて下さい。
アジャイルメディア・ネットワーク株式会社 | Fans:Fans
https://fansfans.jp/campaigns/detail/1206

これを見て、先に真面目に記事を書きましたが、真面目なのでブロガーの成長についても考えています。すぐに参考になる情報を思い出せませんでしたが、手元にあったこの書籍に成長に不可欠なことがたまたま書かれていたので、参考にすることにしました。

ありのままの自分をひたすら肯定するプラス思考のままでは、ありのままのあなたは、いつまでたってもありのままで、成長することがないでしょう。ありのままの自分を乗り越えていくことが、成長には不可欠です。
プラス思考をやめれば人生はうまくいく マイナス思考法講座 』はじめに P7より引用

「ブログを続けてきて良かった」とありのままに思っているのは事実なので、
「ブログを続けてきて最悪だ」と思うことが、ブロガーの成長に不可欠だと思いました。

この本を参考に、真面目に記事を書いたらこんな記事になってしまったのですが、前回と同じくうまく書けたという手ごたえもなく、自分はブログには向いていないのでしょう。それでもなおブログを続けていると、最悪なこともたくさん起こるので、それを書いておきます。

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ブログを続けてきて最悪だと思ったこと


■ブログを書くこと

・ 時間や金の無駄である
・ 自分の存在が知られる、嫌われる
・ 健康にも精神的にも悪い

■ブログを読むこと

・ 時間を使う
・ 気分が落ち込み消耗する
・ 騙される

生きていくうえでは、ブログに無理に夢などを抱く必要はなく「したくないこと」ときっぱり諦めるのがおすすめの方法です。

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ブログに自分の人生の時間を使うことは、言い換えてみれば単なる時間の無駄でしかないので、人にやめろと言われるようならさっさとやめたほうがまともな人生をおくることができる可能性も高まります。

それでもブログをやめられず続けてしまった場合には、ブログでしたくないことをつきつめ、成功事例よりも最悪なケースを親切に公開してしまっている脇の甘いブロガーの情報を初期段階で参考にするとよいです。これからブログに無理に夢を抱いてはじめようと思っている方は安易にはじめず、おそろしい災いがあることを知ることができおすすめです。

ブログを書くことで招く8つの災い #ブロガーサミット - Hagex-day info

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ブログを書かなければ死んでしまうようなことはありません。
むしろ、ブログを書かなくてはいろんな意味で死んでしまうような人がブログを一生懸命書いていると偏った考えを持つくらい慎重でもいいのでしょう。

これからブログをはじめようと思っている方は、ブログを書かなくても生きていけているはずなので、ブログを毎日書いたりすることをすすめる情報に対しても「そんな時間はない」と冷静に判断し、慎重に接することが出来るならば、参考情報として読むくらいでいいと思います。

やっている人のみがそういった情報を発信しているため、何度もそういった情報を目にしてしまうと信じそうになりますが、何もわからないなら2週間~1ヶ月程度やってみれば、無理であることに気づけると思うので、そこで自分はダメだなどと思わず、さっさとブログはやめたほうが、ブログによってもたらされた悩ましさをかかえたまま人生をおくることを予防できるのでおすすめです。

また、ブログをはじめることによって、ブログをやらない状態よりも自分を嫌う人の数は格段にアップするため、いかに嫌われないかを考えながらブログをやることに無駄な時間をついやしたりするのを予防するために、ブログをやらないのがおすすめです。

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人間は時代が変わってもインターネットを使っても本質は変わることもめったにないと思いますので、インターネットで見たことで目新しさに心惹かれたりもしますが、そういう時は、自分は刺激のない日々を送ってるのかもしれないと疑い、今日はどんな美味しいものを食べようか考えたほうが自分のためになることがほとんどです。

ブログを書いたから死んでしまうようなありませんが、ブログを続けるだけで生きていけると思い込むことはリスクも多いことをしっかり把握しておかなければなりません。
ブログを書きさえすれば大金持ちになれるとか、有名になれるとか思い込んだりしている時は、自分は何かに疲れてしまっているのではないか?と、自分を心配するように心がけ、ブログではなく自分の生活を見なおすと、そういうことを思わなくなります。

ブログはつまらないもので、書いても誰も読んでいないということを前提に、自分が書きたいことを書く場合は、適当な記事のタイトルをつけ、刺激になるような見出しや画像をいれずに文字をぎっしり書いておけば、誰かがたとえ何らかの方法でブログと接点をもってしまった場合にも、見た瞬間に自分とは関係ない・読んでも無駄そうと思ってもらえ、それでも読んでしまったと思わせることもできます。

ただし、ついうっかり読んでしまい、そもそもつまらない話しか書いていないので、
ブログに書かないことがもっとも頭の良い賢い選択だと思います。

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それでも、ブログを続けてしまった場合は最悪で、旅行の準備をしなければならないにもかかわらず、ブログを書くことに時間を使ってしまったりなど、人間的にダメな感じになり、それを修正するために、通常では必要のない努力までもしなくてはいけなくなるため、ブログはやらないのがやはりおすすめです。

ここまで言っているのに続けてしまった場合は、ブログとともに死んでいくような人生であると諦めることができるので、ブログを気持ちよく続けることができます。
つまり諦めることが、特にこれといったとりえもないような人がブログを続けられた方法です。

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この本に書いてあることを鵜呑みにして絶望ワークをやると無駄に疲れるのでおすすめしません。
また、はじめに成長することがいかにもこれからよいことが起こり幸せになれそうだと思っているならば、それも錯覚です。

インターネット上には、非常に多くの失敗している事例が掲載されていることが特徴なので、それを参考にし、危険を回避しながら生きていくための参考にしていただければと思います。

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<関連記事>
ありのままのじぶんバージョン
もかりの: ブログを続けてきて良かったと思った出来事 #ブロガーサミット

ブログを続けてきて良かったと思った出来事 #ブロガーサミット

どうも、妊娠9ヶ月の妊婦です。人生二度目の妊娠9ヶ月を満喫。超大変です。
本日「ブログに書いて教えて下さい」という楽しそうなテーマを見つけてきたので、記事を書こうと思います。

これ

【ブロガーサミット2013】 あなたがブログを続けてきて良かったと思った出来事を、ブログに書いて教えて下さい。
アジャイルメディア・ネットワーク株式会社 | Fans:Fans
https://fansfans.jp/campaigns/detail/1206

はじめに言いたいのは、私は「ブログを続けてきて良かったと思っている」ということ。ひとつのブログをずっと続けてきたというわけではないのですが、ブログは続けています。

ブログを続けるということは、「書くこと」だけではなく「読むこと」もブログなので、それらについて、私が「続けてきて良かったと思った(自分の内面に起こった)出来事」を書きます。

私はブログで「ブログを書くこと」と「ブログを読むこと」が出来ました。
これらに自分の人生の時間を使うことに価値があるという価値観があり、人になんと言われようとも今も譲れません。(頑固!)でも、私が本当に大事に思っている人がやめてくれと、本気で心の底から言うならやめようと思います。


ブログを続けてきて良かったと思ったことを3つピックアップ


■ブログを書くこと

・ 私は、「表現することを意識する」ようになった
・ 私は、「人に何を伝えたいか考える」ようになった
・ 私は、「何を書くか書かないかという判断をする」ようになった

■ブログを読むこと

・ 私は、気持ちが寛容になった
・ 私は、ものごとを考えるためのヒントをえた
・ 私は、言葉に出来ない気持ちを言葉として認識できた感動をえた

ただボンヤリ生きているよりも、何かを意識することは良い変化だと思っています。
その意識したものの中でも、自分にとって良いものに集中しながら生きることは、楽しいことです。
それを何個か心の中に留めて置くだけでも、日常生活が違う世界になるというのに気づき、その意識するためのきっかけをブログから得るということも身につけました。

自分だけでは得るものは限られてしまいますが、ブログを読むことでさらに得られるものは増えます。
どうしても受け入れられないようなことも目にしたり、動揺したり、釣られたり、煽られたりもするようにもなりますが、何度かそういうのを体験していると、気持ちも寛容でいられるようになりました。

前の記事にも書きましたが、自分の信念がブレない限りは、だいたいのことはどうにかなりそうと思います。

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なんでブログなの?


じゃあなんでブログなの?と言うことで、話せばいいじゃんみたいな感じでもありますが、話すことと書くことは私の中で微妙な違いがあります。

話すということは、
相手がいてその相手の反応や刺激を受けながら、それにあわせて反応する

書くということも、
相手がいますが、書いている時には、相手の反応や刺激は書き終わったあとにある

一方的に話す機会も、書くのと同じでは?と思いました。
でも、話すという場では、場の雰囲気や時間などがあります。

それに影響されず自分の気に入った場所で誰かの時間に合わせなくても、自分がじっくり取り組みやすいのが書くほうでした。

それがたまたま自分に合っていただけと思います。
なので、話すことのほうが合ってる人には、ブログや書くことを押したいとも思ってません。私は、書くこと、そしてブログが良かったmitai。

+++

原動力はなんだったのか?


外からの評価や刺激も確かに続ける力になっている面はありますが、それよりも、自分の内にあるものが原動力になって続けている活動のひとつだから、私はそれが消えない限り続けることができるという自信があります。

これがなかったら、ブログには興味をもたなかったし、続けることはできなかったでしょう。私の内にあるものが何かと言うと、ブログをはじめた時から持っていたものでしたが、それを意識できるようになるまでは、長い時間がかかったように思います。

だけど、それが何?っていうのを言葉にできません。
よく似た感じで書くなら、「私の娘をだいじに思う気持ち」みたいな感じです。

10年前の私にはこの記事のようなことを書くことは不可能でした。
ブログを続けていたから、私はここまで書けるようになりました。
そして、これからも書くことを続けることが出来れば、もっといろんなことができるようになります。


ブロガーとしては、なんともあいまいな感じのものしか出来上がりませんでしたが、ブロガーって私だけじゃないし、きっとよく似たことを考えているほかの人が違う表現方法で書いてくれたのを読めるかもしれない!というのもブログの楽しみです。

+++

そんなわけで、私は自宅でまだ安静にしている身で、そうやすやすとは読み終わらないくそ小難しい本を買って読んでいたら影響を受けたみたいで、こんな文章を書いてしまいました。

基本的には、うんこなどを連呼したくなるような、バカの可視化をやらかしちゃうようなタイプだと思うので、そういうのも考えて自分の子どもがこれからインターネットを利用する時、メリットだけではなく、デメリットもちゃんと教えられるようにならないといけないかなとも思っています。

ブロガーサミットでどんなことが話されるのか気になります。
これも、誰かが書いてくれるかもしれないので、それに期待してみようかしら。

+++



まだ買ってない赤いブログの本を気が向いたら買う

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Fans:Fans


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 もかりの: ブログを続けてきて最悪だと思った出来事 #ブロガーサミット

2013年8月8日

内向的な人の生きる力となるものは信念

自分にとって無価値もしくは意味がない、それは望んでいることではないと判断しているもののために、めちゃがんばって評価を得ることは、たとえそれがよい評価を人から受けたとしても、私にとっては疲れるだけで、この先めんどうだと考えたりします。

人からそうしたほうがいい、そうしないのはなぜだ?と執拗に問い詰められたりしたら、発狂するかもしれません。頑固だと言われたり、要領が悪いと言われたりしていました。

私には譲れない自分の信念というものがあるにもかかわらず、強く意識したことがなかったのかもしれません。富や名誉や評判よりも、身近な人の平和な生活を望む傾向が強いのではないかと思っています。
「Conviction、信念よ」
「内向的な人が違いを生み出すには、外からどんな風にみられてもよい、どんな風に否定されてもかまわないと思えるほどの信念がなければいけない。それを持てば、内向的な人だって世界を変えることができるのよ」
内向的で、いじめられた経験ももつ私にはそれは力強い言葉でした。私はこの世に fit in するだけの存在でなくてもよい。はみ出しものであってもいいのだという励ましの声だったのです。
内向的でも成功するために必要なもの: Jonathan Fields・Susan Cain対談 #WDS | Lifehacking.jp
これは、Lifehacking.jpの2012年の記事です。これが掲載された時、まだ書籍「Quiet」の邦訳版は出版されていなかったのですが日本語の本が出版されています。でも字が多すぎでおすすめできないです。私は読んでよかったと思ったのですが。(この本について書いた記事はこちら:もかりの: Quiet 内向型な人へ


内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

私はこの本の著者のスーザン・ケインさんのTEDの動画を見て、外向的・内向的と言う何かがあるらしいと言うのをはじめて知りました。これはユングの分析心理学でも性格類型として知ることができたようだけど、私はそれには気づかなかったようです。気づいていればもっと早くに違う考え方もできたのになあと、ちょっと残念がっています。

自分が自分のことをダメだと思おうとしていたら(ほんとはそう思いたくないのに!)、自分がやっている事に対しても、自信が持てなかったり、方向がわからなくなったり、納得してやれなかったりします。なぜそう思いたくないのに、ダメだと思おうとしているかというと、自分の周りの雰囲気を見たり、人からの自分の評価がよろしくないと感じとり、そう思わざるを得なくなってしまうことが多かったから。(・・・と言うのはずるいので、こう言い換えたいと思います。)そういう風に流されていたから。

そんな中でも、いいと言ってくれる人はたくさんいます。でも、それさえも信じられない心境になぜかなっていたのです。ここまでわかってはいても、私はこういう状態からなかなか脱出することができないでいます。それが申し訳ないと感じたりもします。

+++

私は、インターネットをはじめたときから、ネットと情報発信を一生続けようと心に決めていて、それは自分のとある信念に沿ったものだったからだと思います。自分と世の中をつなぐのに使えると思ったコミュニケーションツールのひとつだから。そしてわりと安全に情報を収集することができるツールのひとつだから。

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おそらく私は内向的でしょう。そして臆病です。
腹黒かったり、自己中心的だったりもします。
自分と似ている人はわかるので、私はそんなもんだろとしか思わないけど、こういったことで腹を立てていたりする人にたまに遭遇したりもします。怖いです。
1:しゃべるのが好きではない
2:シャイである
3:不作法
4:人間が好きではない
5:人前に出るのを好まない
6:いつも一人でいたい
7:不思議な存在だ
8:無関心なオタクだ
9:どうリラックスするか、どう楽しむかを知らない
10:内向的な人はその性格を治して外向的な人になれる
内向的な人に関する10のウソ - GIGAZINE

これはウソというか誤解だといえます。
そっとしておいてあげて!

私は自分とは違うらしい傾向の人が、私に親切に接するとき、頭が混乱するようなことを一度にたくさん聞いてきたり、話したり、ざわざわするところに連れ出そうとしたりしたりするので、(私に対する嫌がらせなのだろうか?)と、思ったこともあります。ゴリ押ししてくることもあり、あまりにも悩ましいので距離を置きたくなったりもします。

これは相手のことが理解できないのではなく、自分の性質を把握していなかったため、相手を否定的に捉えてしまっていた思考にしかすぎません。これらは、すべて相手がよいと思ったことを私にもすすめたり誘ってくれている好意の表れですが、私にはなかなか理解できないことだったのでした。

それにうまく応えることができないことで、私は悩むことはありますが、自分にとってはよいことが起こっているとわかるようになったので、うまくやることができるでしょう。

私がそう思えることになったことで、身近な人の平和な生活をより実現していきやすくなったというのは、私にとって大きな成果であります。

2013年8月7日

私がいやだと感じている人好きだと感じている人

私が子どものころから感じていることのひとつに、自分がいやだなあとどこか感じ、あまりかかわりたくないと思っていた人というのは、私の性質に対して否定的であり、それを指摘し、無理や我慢をするべきだとか、ダメであるとか、欠陥であるとか、都合が悪いだとか、できないやつ、使えないやつ・・・というような評価をしてきます。

そういう評価をしている上で、私のそれを欠点であり改善したほうがよろしいと私に対して親身になってくれる人は、その部分を矯正すればよろしいとアドバイスし気をもんでくれます。しかし、私はそれらのアドバイスをすぐに目に見える結果でこなすことができず、その人をガッカリさせ、時として怒らせます。

もともとダメだと思われているので、さらにどうしようもなければ、さらにダメだと判断され、もっと何か欠点があるのじゃないのかといろいろと探られ、ことあるごとに欠点を見つけられては、指摘され続けます。自分でもできなかったことがわかっている上に、さらにダメだしをされるため、自分はダメなのだろうと思うようになります。

がんばればがんばるほど、疲れがひどくなり心も荒み、体を壊したり精神的に不安定な状態がずっと続くようになります。

ただし、これは、私の性質が認められない場合のケース。

+++

私が子どものころから感じている、自分が好きだと思っている人は、私の性質に対して肯定的で、うまくできたことをよいと評価してくれます。うまくできたので、今度はこんなこともできそうじゃない?こういう考え方でもやってみたらどうだろう?これにも応用できそうだよ。と、さらにおもしろいことを持ちかけてきます。

そういう評価のもとでは、うまくいったことを積み重ねたり、工夫したり、大きくしたり小さくしたり、無駄だったことは削ったり、失敗したことは違う方法を探していこうだとか、試行錯誤や切磋琢磨をしていくようにアドバイスをしてくれます。

たとえそれに時間がかかっていても、時間がかかっていることそのものがいけないという評価ではなく、時間がかかるものであるのか、こうすれば短縮できるといったことを教えてくれます。

がんばれば・・・というより、おもしろがってやっているので自分ではがんばっているという意識もそれほどなく、没頭していたり夢中になって、やろうやろうとするので、ずっと楽しい状態で過ごすことができ、生活の中からも、それのためのヒントを探し続けるので、寝るのもおしいくらいの気分になり自分に起こることが何もかもおもしろくなります。

これが、私の性質が認められている場合のケース。

+++

わかりますか?
これは、自分が自分に対して指示を出しているもう一人の自分がやっていることです。

とまあ、自分の内で起こっていることのようにはぐらかしたりもしましたが、実際にそういう人には遭遇していて、私がいやだと思っている人でかつ親身ではない人はもっといろんなことが起こるわけですが、それはここで話題にしなくてもいいでしょう。

2013年8月6日

Quiet 内向型な人へ

去年の年末に私は興味深いことを知りました。

自分は周りからの刺激に対しての感じ方が、自分以外のある傾向の人とは違う感じ方をしているのであろう。と言うことです。それは自分がどういう風に感じる傾向があり、どう思っているかというにすぎないことかもしれません。

強い刺激を好まないだとか、刺激が強いと疲れてしまう。
その刺激の強さは同じ現象であっても、感じ方が違えば強く感じたり弱く感じたりする。そしてその刺激を受けた時、楽しく思うかしんどいと思うか、何も思わないかも違いがあります。

刺激を受けて自分がよい反応であれば問題はありませんが、それが疲れや日常生活に支障がでてしまいうまくやれなかったり、その刺激がある環境で楽しくやれる人の中にいた場合、理解されないことがあったり、人としてよろしくない評価を多くの人から受けてしまうこともあるでしょう。

たとえ、そのような環境でない場合においては、よりよい状態で普通以上のことができるとしてもです。

自分にベストな環境を望んでも、手に入れられないことが多いのは生きていてどこかわかっています。なので自分が変わろう、うまくやろう、もっと何か自分を磨いていくべきと考えます。心を無にしてみたり、自分を騙してなんとか生きていこうと、おそろしく頑張ってやっと周りと歩調が合わせられているような状態かもしれません。

+++

私がインターネットを好んでやる理由のひとつに「ソウルメイトを探すため」と何度か言った記憶があります。なぜインターネットなのか?なぜソウルメイトを探そうと思っているのか?と言う理由は、ずっとなぞでしたが、(もしかして?)と思うことを見つけてきたので、それを話しましょう。

私はTEDのプレゼンを見るのが好きなのですが、その中で去年少し話題になった

スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」 | Video on TED.com

この動画が気になっていると、何度か言っていました。

この動画を見て、私は自分とよく似た人が外国にもいるんだなあと思いました。でもこんな大きな会場でスピーチをしているとか、なぞだなあ。とかきっとこの人も私とは違うのかもしれない。いちいち何か大げさだと疑っていました。ただ、ほかのスピーチのような刺激的でおもしろい内容とは違い、ずっと心にひっかかっているものであったことは事実です。

外向型・内向型傾向の人が存在している。というのは、どこか「当たり前だ」とも思っていて、自分はどちらかといえば、内向型のタイプだろうくらいに思っていました。そんなもんだ。と。それをよく考えたところで、何かを見つけるきっかけにもならないだろうとも思いました。

疑っているにもかかわらず、この動画は思い出して今日まで何度か見ました。
わりと何度も。

+++

何度か動画を見ているときに、このスピーチをしているスーザン・ケインさんの書籍があることを先日、知り買って読みました。なんとなく。私は、Quietの意味はわかりません。まだ調べてません。


Amazonで見る 内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

私は、本を読むときまずざっと全体に目を通すのですが、このときの感想は、ざっくり把握したかったり、本を読むのが好きではなかったり興味がない人にはまったくおすすめできないと思ったことです。理由は、外国の事例が細かく書かれていて、なじみのないカタカナや用語が多い、そして文字数が半端ないから。いろいろ何かが細かいです。

こんな感じの本


ただ、じっくり読むとそういうわけでもないことがわかります。ただし、本をじっくり時間をかけて読むことに苦痛に感じない人のみ。

内向的な人スゴイっていう内容でもあるので、自分がもし内向的であれば、わーい!ヤッター!という気分になったりもできます。こういうところにスポットを当てて何かを語っているらしきものに触れた記憶があまりなかったので、(えええ!?うぇええ!)と新しい刺激を受けただけかもしれませんが。

+++

私はどうやら内向的な傾向が強く、自分ではたいへんそれに困っていて、人生かけて自分でどうにかしなければならない課題であると感じ続けていました。なんとかうまくやるコツを貪欲に探し続けて、心平和に生きるコツも身につけはじめていましたが、まだまだ困っていると感じることは山積みです。

自分はさておき、もし仮に娘がそういった傾向があるなら、私はもっと切磋琢磨すべき事があるはずだということを本を読みながら感じ始めました。どうやら私の1人目の娘をじっくり観察していると、私ほど困ったことがなく平和に暮らしているように思います。むしろ私が彼女に、悪い影響を与えたりしないかというほどに、安心できる人格でした。

次に思ったのが、私は今妊娠していて、今年子どもがもう一人増えることです。この人がいったいどういう人なのかは産まれてこなければわからないので、さらに新しく人に接する立場になるため、もっと切磋琢磨するでしょう。今回はすでにすばらしい私の弟子が身近にいるので安心しています。

自分だけではなく、身近にこういった人がいて大事に思っていて、その人がどういう傾向があるのか知るにも、よい書籍ではないでしょうか。ただし、まったく違う傾向の人が読んだ場合、どう解釈するのかは、私にはわかりません。

この書籍の中で「コア・パーソナル・プロジェクト」という、”自分が重要視する仕事や、愛情を感じている人々、高く評価している事物”に従事する場合、めっちゃがんばれるみたいなことが書かれています。私の場合は、それが家族や特に娘だったり、インターネットで探し続けていたソウルメイトだったりするのかもしれませんね。

私の生態はわりと面白いので、気が向いたらそれについてもかこうかなと思います。

>>> つづく


■関連記事

失敗してもオワタではない

失敗したら人生オワタと思うタイプです。
まあこの1文だけでも、いろいろつっこめるところがありますが、もっといろいろあるので、それを書きます。

まず、「失敗したら」の部分なんですが、どの時点で自分が失敗だと解釈するかの判断がおかしいです。
それまだ失敗と判断しなくてもいいよ。という時点を失敗だと勝手に思い込んでいることがあります。この見極めが甘い場合、失敗さえしてないのに、人生オワタことになるので、超注意です。
見極めできなさ過ぎて、スーパー人生オワタ状態になるかもしれないと言う点は、もっとも気をつけないといけないですね。

つぎは、「人生オワタ」の部分なんですが、何が人生オワタなのかしっかり把握しているかということです。
犬の糞を踏んだくらいでは、そう簡単に人生オワタことにはならないのですが、それでも絶望することにしたというのは、気軽に書き込んだコメントくらいにしておきたいところ。

この二つの組み合わせが、トンデモだった場合、常に人生オワタスーパー人生オワタ体験ばかりを繰り返すので、心にとっては、よろしくないです。もっといろいろ見極めたり、思い込み部分のおかしなところを、アップデートしておく必要がありそうです。

2013年8月5日

自分の思い通りにならない

「自分の思い通りになる」と信じていたり、思い込むことは大事なことのひとつですが、よろしくないことも同時にあります。「自分の思い通りにならない」ことです。

自分の思い通りになると思い込んでいたとき、自分の思い通りにならなかった場合、どう思うでしょうか。「なんでやねん」ですが。これが、もし人に対して「こうして欲しい」と思っていたとき、相手がそうしてくれなかった場合、「どうして言った(思ってる)とおりにやってくれないのよ」という苛立ちがうまれたり、相手が悪いとか人間的にだめなやつだからと決め付けたりできます。ラッキーです。

しかし、これが自分のことだったとしましょう。
たとえば、左手の薬指を動かしたいと思っているけど、動かない。とか。まあ「なんでやねん」思いますね。ここから、どうして動かないんだよ。といらいらしたり、だめな薬指だとか、思うことも可能です。だからこうしてやろうと思うのも自然な流れかもしれません。

なんでやねん。いらいらする。と考えるのに、抜けているものがある気がします。
なんでやねん。って思うのは、単なる疑問というか、(えーなんで?)という気づいたときの状態で、その次に、気づいたからいきなりいらいらする前に、「あ、薬指動かないんだ。」というのをしみじみ味わってないです。
確認作業ができてないのに、いらいらするとか、もうちょっと考えたほうがいいんじゃないか?とも、思うわけですよ。短気すぎです。

2013年8月4日

しっくりこない世界

別に自分も相手も悪くないんだけど、自分にとってはしっくりこない世界(世界観?)みたいなのを感じたとき、これ何?って思います。

自分にとってはしっくりこない世界であって、自分にとって都合のよろしくない世界ではないのがポイントなのですが、この微妙な違いを説明するのは難しいです。

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何を書こうかまったく考えないで書き始めたので、いきなり話が変わりますが、
「自分探しのたび」という愉快なものがあります。
私のイメージ的には、おでこにメガネがあるにもかかわらず、メガネを探して部屋中探しているような光景が目に浮かびます。結果的に、部屋にいる誰かに、「メガネ!そこにありますやん!」と言われたり、探しているうちに(あれ!?こんなところにメガネありますやん!てへぺろ!)なんていうことだと思いますが、別に部屋中探し回らなくても、考えたらわかりますやん・・・と思ったりもします。
考えればもっとおもしろい解釈もできるかもしれませんが、メガネがありません。なう。

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前にブログを更新したのが6月なので、それからまた独自の研究?探検?探求?をしていたわけですが、そこからまたひとつ進みそうな感じで、まだまだ旅の途中。

とにかく自分にとってどんな工夫を施せば、うきうきすごせるかを考えていて、結局これかよというものに、めぐりめぐって到達してしまったりしたりしつつ、たいそう自分に都合のよい思想を考え続けています。

数ヶ月、数年前に自分が書いた文章がすでに、自分でも意味不明になっていることも多いので、なんとか何かは進んでいるのであろうと、とらえていますが、まだまだいけそうですね。

え、何を書いてるんだよって?特に何かについて書いているわけではないです。

おわり


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