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2012年12月27日

恐怖です。

私はずっと自分が弱すぎるので、強くなろうとしていました。しかし、なぜかうまくいきません。なぜうまくいかないのかという理由はなんとなくわかっていました。恐怖です。
安全なものなんかないといわれるかもしれませんが、私は人がとてつもなく恐ろしい。ただしキライではないです。むしろ人は好きです。

ただ、1pxでもあるものをさっしたら逃げたくなります。5pxくらい感じたら逃げます。
それがゼロの人はおそらくいないのも知っていて、気分や状態によって出てくることも把握しています。

ところで、私の子どものころの趣味といいますか、好きなこと?だと思っていたことがあるんです。好きだと勘違いしているのかもしれませんが、やってると安心できるのでよくやっていたこと。

1. ひとりで図鑑を模写すること。
2. ばーちゃんの横で庭の隅で石の下の虫をじーっとみること。

楽しかった記憶。
母と二人で車に乗って海にいき、潮干狩りしたこと。
砂の中から貝が出てくることしか覚えてない。
みかんの皮がかたくなっていくこと。
ストーブの上のもちがふくれるところ。

・・・う~ん、地味。

私が極限状態になった時にやる逃避行動。
妄想、そしてもうダメだと思ったら、意識を失っている状態になる(自分基準)。

改めて見ると、私と友達になってくれる人いなさそうと不安になってきた。

++

私の個人的な問題。

さて、私が人が恐ろしいというのには理由があります。
あまり詳しく書くと、たまたま見た母が辛くなるので書けませんが、子供のころ家庭環境がよくなかったのです。よくなかったと言っても、私の感じ方がおかしいのでたいしたことでもないのかもしれません。これを話題にしたところで、私になんのメリットもないです。

ただ、今回は人が恐ろしい理由として書きます。
私が実家を離れるまで、両親が不仲でした。不仲というより、理性を失って目の色がおかしい父親が母に暴力をふるい、母が泣き叫び、家族が怯えているような日が頻繁にありました。両親が家にいるとき、ずっと怯えていました。母がノイローゼ気味でした。私はずっといろんなことを我慢して、おとなしくし生きていました。行くところもなかったので。私の家庭の環境を知る親類には、私も煙たがられているような、受け入れてもらえないような、行き場のない孤独がずっと子どものころからありました。

なぞです。こんなことってあるんだなあ。と、今思えば他人事のようにも思いますが、実際に私が体験していたことなのです。思い出せない。でも、がんばって思い出してわかったのは、人に怯える理由はここにありました。

人はわりと親切である。とは思いたいのですが、どうしても手放しでそう思えない理由はこれです。私はある一定の距離をとらないとストレスです。疲れているとき、人と1メートル以上距離を置かないと、ストレスを感じる時があります。きらいじゃないんです。限界きてるんです。なので育児は限界をこえて白眼になるくらいがんばったことのひとつです。母ですし。だいぶ手が離れてわりと今、平和。

大きな声で喋る人、つまり通常の会話では使わない声の大きさ、ニュアンスを持った声を使う人がずっといると、逃げたくなります。同じニュアンスの文章、書きこみもアウト。表現全部アウト。
それ、わざわざそうしなくても、聞こえますし。わかりますし。と、思うんです。

++

子どもというのは邪心がわりと少なめで、かまって欲しいすごいオーラがダイレクトすぎでしんどすぎですが、私は親切で忍耐強めなのと、守ってあげたい・かわいがりたい・よいほうにみちびいてあげたいと思うので、許容範囲内です。私には無理そうにみえてこういうことを好むのは、自分のしんどさも許せる愛か使命みたいなもんだと思っています。

私は今はとても平和に楽しく暮らしていると思っています。最高に。
でも、もっとよくなろうと思っています。
ただ私にとっては、居心地がわるいものはもうゴメンです。病気になるので。
と、いうことがわかった2012年。

今まで私がやってきたことは、間違ってはいなかったです。
ただ、私が目標としているものは、どうも違っているようです。

文章が書けない最大の引っかかりもなんとなくわかってきました。

>>> つづく?

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