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2012年2月15日

覚えた言葉「ふっきれる・断ち切る」


いつからでしたでしょうね。

私は、言葉で考えごとをしているみたいで、言葉をもつと、ちょっと賢くなった様な気がして行動が変わる幻想のようなものを持っています。それは違っていた。という経験しているし、怖いことだとも思っています。

私の文章からもよく出ていると思いますが、私はクヨクヨとしているところがあり、そればかりに傾くのも良くないなあ。前進しないなあ。と思っているので、それはどうしたらいいのかなあ。と、思っていました。もどかしい感じの人なんですよね。

クヨクヨしているのは、この世界で、私だけかもしれません。
そういう自分をわりと恥ずかしいとも思っていますよ。



私のこういうクヨクヨしているのは、外に向かってトゲトゲすることもあるし、内に向かってトゲトゲクヨクヨするのです。


子どもたちを見ていて(いいなぁ・・・)

子どもたちは、クヨクヨを忘れているわけではないでしょうが、そんなことが存在しないかのように夢中になって遊んでいます。私はそれを見て、その姿や雰囲気に心地よさを感じている自分に気づきます。

その時、ふと私の頭に浮かんだ言葉は、(いいなぁ・・・)

子どもたちには素直にそんな風に思うことはあっても、自分に近いような気がする人を見るとそんな風に思えずに、否定する気持ちもあり、なかなか気づけないものでした。


クヨクヨとする原因は、自分の心のしこりのようなもので、
クヨクヨとそれをやり過ごしながら生きているよう。気持ち悪いんです。

こんなに気持ち悪いのに、慣れてしまったのでしょうか。我慢しているんでしょうか。そのままでも、なんとかなったりもするんです。

コンプレックス、負い目、ひけめ、劣等感・・・みたいな言葉のようです。


実はもうみつけている

自分の心を手繰っていくと、根深いところにあるものも、見つけたような気持ちになります。これが、こういう風にクヨクヨしているのは、たどっていくと、なぜか大事にしまってるクヨクヨだった。みたいな。

こういうことは、生きていて、自分でも何度も気づいたことはありました。
やり過ごしたり、距離を置いたり、気づかなかったことになったり、違う感じでぬりかえてみたり、どうしようもないと諦めたり。

結局ずっとそうしていくことによって、新しいクヨクヨができあがって、そのクヨクヨにまたクヨクヨするわけですが、これだと、ずっとクヨクヨしていて、なんかしんどいですよね。これは、たいへんしんどいことなんどす。

もし、そのクヨクヨがなかったら、どれだけ世界が違っているだろう。と思うわけです。
私はケチなので、クヨクヨした世界も知っていてトクした。とでも思わないとやってられないくらい。


楽して消し去ってやりたい。でもできないのよ


そういうの、消しゴムで消しちゃう。
なんていうほど簡単に消えてくれるなら、
楽ちんだろうなあと思うのですが、そういうわけにもいきません。

クヨクヨ消しゴムとかあったら、私、買いそう。
そのくらい、楽して消してしまいたいものです。


クヨクヨは鎖みたいなもの。なんか進めないんだよな


私の感覚だと、クヨクヨは鎖みたいなもので、私がいくら「行こう!」と思って走り出しても、いつも鎖の長さくらいまでしかすすめないのです。だから、その長さより先にいる人が見えて、悲しくなったりするのです。そういう時って、なぜか人がみえてしまうんです。

それはどんな時も、何かをしようとする時にさえ、その感じが、ふと出てくるんです。

本当は(あれ?おかしいぞ)と、
鎖に気づかないといけないのに、違うものを見ていて、
自分の鎖に気づかないその姿は、滑稽かもしれません。


そんな鎖、ふっきれればいいのに。
断ち切れるなら、切って前にすすんでやりたい。

これが、心の本音でしょう。


のびのびしたいのー


年を重ねれば重ねるほど、ひとつの克服できないクヨクヨがあることで、いろんなところにクヨクヨが増えているような感覚があります。なんかね。どんどん窮屈になってくる。

子どもの成長を見ていて、クヨクヨがまだ小さなときに克服できなかったら、成長過程で、何度も表面に出てくることがあるようにも感じています。


私のように、根深くなってしまう前に、もっともっともっと話をしよう。
そうすれば、もっともっと、いろいろなところにいけると思うんです。

いろんなところに、行ってみようよ。行きたいよ。
そして、そこでのびのびしたいじゃあないですか。


お姉様とお話していて、そんなことを思ったりしましたのよ。

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